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2010年10月31日 (日)

バタビア 1930: (2) バタビア市の汽車網

「バタビア駅からホテル迄、旅行者は汽車を使う事が出来る。ホテルからは小さな二輪の乗り物 ドスドスがある。これはよく使われるが乗り心地が悪いので観光には不向きだ。パンダァラン、バンドゥン、ガルット及びマオスには汽車がクマヨラン駅から出るがブイテンゾルグにはコーニングスプレイン(現地人はガンビールと呼んでいる)駅から出発する。
ガルットへはチバトゥで乗り換える。マオスへの客はこの駅(チバトゥ?)で政府のホテルに泊まるが勘定は自分持ちである。 タンジュンプリオクにはバタビア駅からS.S若しくはNISが毎時出ている。時間割は政府観光局或いはホテルで手に入る。 ブイテンゾルグと内陸部には30キログラム迄手荷物料金はフリーである。」

これだけの案内だけであるがタンジュンプリオクからアンチョール経由バタビア行きの線路とクマヨランのラジャワリ駅からスネン駅(ここがウエルトフレーデンへの駅か)に行けるし
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更にこの線路はジャティネガラからブカシ方面・ジョグジャ方面に向かう現在の路線の通りである。また ガンビールからは南にマンガライ経由しボゴール方面に行ける現在の線路と同じである。バタビアには二つのデポがあると全号で出ていたがこれはコタ駅(昔の呼称はBOES:Bataviasche Ooster Spoorweg Maatschapij、
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現在の駅は2代目か1929年オープン)とその北の駅のふたつかもしれない。この北の駅(Kampung Bandan)からティエン・ブンデラからアンケへそしてタナ・バン経由マンガライに行く線路及びアンケ辺(Duri)りからタンゲランに行く路線、タナバンの先から南に下りセルポン方面に行く路線及びTanah Bang-Dukuh Atas-マンガライとジャティネガラをつなぐ路線はその当時どれだけあったかは上記の文章からは判らない。
SSと言うのは政府系Staats SpoorwegenでNISは民間のNederlandsch-Indische Spoorweg Maatschappijである。バタビア・ブイテンゾルグはNISが建設したはずである。又地方の路線はNISがインドネシア最初(1867年)のスマラン駅を作り1873年にはソロ迄繋がり、1878年にはスラバヤ、81年チラチャッップ、1894年にはバタビアとスラバヤが完全に繋がっていたので上記の説明は簡略を極めていると言わざるを得ない。
Maos:多分チラチャップ方面の小都市だと思われる。
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ドス・ドス(dos-dos、dos a dos)とは馬が引く馬車でフランス語であり、通常はサドと呼ばれていたはずで今もモナス近辺とかで見かける。 今日の収穫は今度いつかドスドスを見かけたらヘイ!サドと呼びとめて乗ってみることだけである。

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