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2010年10月15日 (金)

国軍司令官交代に見る国軍幹部たち

先に10月5日はインドネシア国軍の誕生日(HUT TNI)であったが今回もその2回目となるマークすべき出来事がある。海軍参謀長が国軍司令官になったのである。それはTNI AL Laksamana海軍提督Agus Suhartonoが10月1日に大統領から任命を受けたものでその後Agus Suhartonoは、10月2日にチランカップのTNI本部の国軍儀式で前任者Djoko Santosoから引き継ぎ式serah terima jabatan (sertijab)を行った。
Agus Suhartono提督は1945年からのTNIの歴史において海軍参謀長から国軍司令官になったケースの2度目である。最初はWidodo Adi Sutjipto提督で、陸軍のウイラント大将の後を継いで国軍司令官に出世した最初の海軍参謀長であった。Widodo ASは現在Dewan Pertimbangan Presiden/Watimpres)のメンバーであるが彼の後の国軍司令官を見ると
mantan Kepala Staf TNI AD, Jenderal TNI Endriartono Sutarto
mantan Kepala Staf TNI AU, Marsekal TNI Djoko Suyanto (現在Menko Polhukam).
Mantan Kepala Staf TNI AD、Jenderal TNI Djoko Santoso.
mantan Kepala Staf TNI AL、Laksamana TNI Agus Suhartono
以上見るように国軍司令官の交代は3軍の参謀長が交互に就任している。ABRI時代は伝統的にいつも陸軍参謀長もしくは陸軍出身であった。
Agus Suhartono提督は海軍士官学校(AAL)の第24期生(1978年卒)で2番目の成績であった。主席のAdhimakayasa賞を得たのは現海軍少将(Laksamana Muda)Sumartonoで現在Kobangdiklat TNI ALの司令官である。3番目であった現海軍中将Laksamana Madya Soparnoが海軍参謀長となった。何故主席が参謀長になれなかったのかはKesatuan(軍団の縦の本流か)でなかったからのようだ。
陸軍士官学校1978年卒NO.1は陸軍中将Budimanで現在、海軍No1 と同じような職務Komandan Komando Pengembangan Pendidikan dan Pelatiha(Dan Kobangdiklat)を司っている。空軍は殉死しており、警察ではAkpol 1978 No1 はKomisaris Jenderal(Komjen)Sukarnaで現在Inspektur Pengawasan Umum Markas Besar Kepolisan(Irwasum)である。国軍司令官の交代は既に自然に純粋に(secara alamiah dan mulus)行われるようになってきた。そう、この歴代国軍司令官の名前は後ろにtoが付き直近5人はS-toである。

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