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2010年10月30日 (土)

百年前のバタビア 1 タンジュン・プリオクへ

「バタビア 1930」を書き出したら、今度は百年前のバタビアという読み物があった。作者不詳のままOude BataviaとSitus Kota Tua Dot Comに出ていた。タイトルからするとこちらは1910年ごろとなるが、1930年の検証の為、からませながらこれも読んで行こう。
「シンガポールからバタヴィアには約40時間の航海である。海は比較的静かであるが季節の変わり目には波も高くなる。
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シンガポールを出たあと、蒸気汽船はRhio諸島を通り過ぎ、浜辺は美しく周りの小さな島々が点々とつながる。赤道を最初の夜に越え、2日目にバンカ海峡に入る。バンカ島とスマトラ島のビーチが椰子の並木を作っている。船は二つの島のビーチに近ずいたり、バンカ島の尖塔に小さな旗がはっきり見えたりする。
しかしこれらは突然代わり、雨が降ってくる。雨はデッキに銀の矢の様に突き刺さる。厚い雲がビーチの上に盛り上がりさっきまで平和な海が漣む。色もトルコ石の青緑色が銀灰色に代わる。周り全体が涼しく気持よいが、雨が去った後の方がより静謐である。 このようにいつも突然やって来て突然止む。 そして間もなく太陽は海に沈む。熱帯の夕方なのだ。
錫の生産で有名なバンカ島とビリトン島は東側に見る。鉱山労働者は全て中国人である。人口は115,000人で多くはスマトラ出身のムラユである。
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3日目船はタンジュンプリオクに入る。“東の天国”への門であるが魅力的ではない。しかし旅行者の皆はここが自然の広い美しい宮殿へ向かう磨かれてない入口であることに安心し満足している。
タンジュンプリオク、バタビアの港。埠頭に船が繋船されると、旅行者はいくつかのホテルからの人々に出迎えられる。彼らに荷物を預ける(1個当たり30センでホテル請求書に記載される) 正規ポーターも居り、彼らが1個10センで汽車の駅まで運んでくれる。
タンジュンプリオクの建設は1877年から1886年の間に行われ外港と内港となる。内港は深さ26kaki(フイートか)で二つのそれぞれが6,000kakiの長さの堤防で守られている。内港の大きさは幅565kaki、奥は3,500kakiで二つの埠頭がある。一つには石炭を積む場所がある。建設コストは2,200,000フローリングであったが、既にもう拡張の計画が上がっている。」

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コメント

毎回楽しく拝見しています。

>深さ26kaki(フイートか)

その通りです。Kaki=足=feetです。
26ft x 0.3 = 7.8m
ですからかなり水深のある港ですね。

投稿: 度欲おぢさん | 2010年10月30日 (土) 13時50分

度欲おじさんに読んでいただいて光栄です。
堤防も長いですね 今もあるのかな あるいは昔の港と今とはだいぶずれているかもしれないかなと思ってます。

投稿: 西見恭平 | 2010年10月30日 (土) 23時45分

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