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2010年11月 7日 (日)

メラピ噴煙のジャカルタへ

今日又ジャカルタに出かける。出かけたと言う事が読んでくれる人に判るようにブログに書ける今日のトピックスはなんだろうかと思って楽しみにしていたのであるが、成田に着いたらもうトピックスだらけでがっくりきた。
多分羽田国際空港がオープンしたからか、成田を出て行ったエアラインもあったのかターミナルIIの場所替えで、家からの宅配荷物のカウンターも隅の方から昔あった旧の場所チェっキング・カウンターのQの所に移っていた。それよりもチェッキングカウンターは半分以上JALが占める様に変わっており、当然のようにガラガラである。一方、そこからG辺りのガルーダの所に来るともう長蛇の列である。それもそのはずガルーダは11:20発と12:00初の2本を持っており、この一つのカウンター・ラインで処理していたのである。その上JALからの移動してきた客もあるようで更に渋滞に拍車を掛ける。   
これは後でわかったことであるがJALは今日突然欠航していたのである。聞いて見るとメラピ山爆発で今日取りやめたと言う。 同じルートのガルーダが飛ぶのに火山の所為にしたのかなと思ったが、あるお客の話を立ち聞ぎしたら昨日もJALは着陸を取りやめ成田に引返したという。スチュワーデスにもスチュワートにも聞くが知らぬふりであった。尖閣諸島のビデオ隠しがひらめいたが、機内で手に取っていた新聞をなめ回しその事件の記事を見つけやっとそれが事実であると知った。何故インドネシアは自国のフライトには着陸を許しJALには許さなかったのだろうか。 或いは選択をそれぞれの航空会社に任した結果、日本は安全を取って金でカタを付けたのであろうか。 予定の時間を50分ほど遅れの6時過ぎに無事着陸する事が出来たが、何時までも案内がなく噴煙の中を飛んでいる間は不気味であった。

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