バタビア1930 (7) タナー・アバンも観光地?
次の市内観光はタナー・アバン方面である。原文が意味不明ながら直訳すると
「8時に出発、Gang Chaulanを通ってタンゲラン方向に歩いて行く。半時間ほど歩くと
中国人の墓がある所で南に曲がる。Djattiに向かう葉影深い墓地を通り抜ける。45分程度でDjattiに着く。そこがTanah Bangのパッサールでそこからはdos-a-dosに乗りホテルに戻る途中にある欧州人のお墓に立ち寄る。」とこれだけである。
Gang Chaulanとは今のHasyim Ashari通りでガジャマダ・プラザの手前で左に曲がりRoxi Masを超えてCiputraに向かう道である。もっと南のプタンブランの他には、この辺りに中国人の墓地はない。 Djattiは現在Cideng郡の中にあるJati Baru村等に名前が残っているが、そこより南に現在のパッサール・タナー・アバンがある。そこから馬車ドサドスに乗って北上すると現在Tanah Abang 1通り奥にプラサスティ墓地記念公園がある。多分ここに出てくるホテルはHotel des Indesであろう。
現在の繊維博物館は元アラブ人の居宅であったが観光地になっていたか疑問であるものの、タナー・アバンからは運河越えでこのサイトシーイングには出てこない。
パッサール タナー・アバンは パッサール・スネンを開いたVinckeと言う人が開拓したとの事で多分1730年頃であるがその後でも写真のようであった。現在のものと少しギャップがあるが現在のPasar Tanah Abangは大きなKecamatan故場所の特定は難しい。
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コメント
綴りはTanah Abangに修正
投稿: nishimi | 2023年4月25日 (火) 13時38分