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2010年12月 2日 (木)

バタビア1930 (6) ジャティネガラへ

今日は3回目のバタビア コタ・トゥアーである。
「同じように朝早く蒸気機関車のトラムに乗って一番遠いMeester Cornelis で降り、Buitenzorgに向かう駅のBidara Tjinaへの道を1時間ほど歩く。大樹がおい茂り涼しい道路である。それからぐるりと回る道のMeester Cornelisの小さな町を通って電車駅に戻ってくる」

Abjatinegara_karamat_sep_08_038


読むとたったこれだけの紹介であった。Meester Cornelisとは今のJatinegaraでBidara Cinaという地域名は今もありジャティネガラより少し南のOTISTA通りのSt.Antoniusの北の地区である。ここまで行ったと言うので多分このプロテスタントの教会以外訪問すべき所はないように見える。ジャティネガラはGreja Koinoniaを起点としターミナルを終点とした東西の道で囲まれた縦楕円形の地区でBALIMESTER郡と呼ばれ、その中心にパッサール・ジャティネガラ(Pasar Mester)がある中国人の街である。何故ここの飛び地にまで電車道があったのかは多分バタビア城市の昔から軍の拠点であったからであろう。
この地は1661年にバンダ島からやってきたクリスチアンの宣教師のCornelisと言う人が
Jatiの木の土地を開いたことから敬称を付けてMeester Cornelisと言う地域の名前になった。その後衛星都市として発展したこの地は1924年にKebayoran、Bekasi、Cikarangと共に4つの県の一つになった。Jatinegaraと呼ばれるようになったのは日本が占領した時にオランダの名称を全て捨てさせたからである。ただMesterと言うのは残ってしまった。

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