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2010年12月22日 (水)

Balai kotaはどちら

バタビアの市庁舎は最初はファタヒラーにある現在のジャカルタ歴史博物館でCity Hallとか同じ意味のオランダ語でStadthuis、現地語でバライ・コタとも呼ばれる。バライ・コタ Balai Kotaと言えばモナスのムルデカスルタンの現在の市庁舎にある謂れのある建物も同じ名前で、こちらの方が新しい。バタビアの中心が南部に移ってきたのは、まず早くも1650年にはClemendt de Longheと言う人がバタビア市建設計画地図を作製したがこれが南部開発を提案した最初であるようだ。 そして18世紀になるとバタビア市の住民はより高地となる南に向かって移動し、1809年頃ダーンデルス提督が城壁を破壊し、ウエルトフレーデン宮殿建設に着手した。 バライ・コタとしてはファタヒラーの方が、最後は西ジャワ州政府の事務所として1942年まで使用されたが、1905年にStadt Batvia市制になってから1913年に市役所はAbdul Muis No.35 に移転、更に1919年にMerdeka Selatan 8-9に移転した。Abbalai_kota_may_09

現在の市庁舎の横に残されたWoonhuis風/或いはTuscan風建物は、Gedung Balai Kotaと呼ばれるがここがNo.8 で当時の市長の事務所であった。 1850年頃の植民政府は地方にResident(弁務官?)を置き、行政、裁判等行わせた。Javaに17のResidentが指名されBataviaにもここにResidentが執務したのである。主たる市行政の事務所があったNo.9の 建物が壊され24階建ての市役所ビルが完成したのは1974年である。

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