« Balai kotaはどちら | トップページ | BSDは60万本のGreen City »

2010年12月23日 (木)

Batavia百年1915(8) 中心地は緑濃きレイスウエイク

「Rijswijk(米の町)はノルトウェイク通りと並行している最もポピュラーな道でタナー・アバン通りにつながる。その端にハーモニークラブがある。美しいAsamの木々が傘のようになってつながる道には多くの住宅が皆又生い茂る木々が植わった庭に囲まれてつながっている。運河にそって蒸気を吐きながら電車が走っている。
この地区をGang Poolが横切りそこにオフイシャル旅行案内所がある。その東側に法務省が建ち、その後ろに総督官邸がある。Rijswijk通りに添ってHotel der Nederlanderや 植民地内務省及び Grand Hotel de Javaがある。」

ハーモニークラブは1985年、壊されSetnegが建っているがこのSetnegとIstana Merdekの間をモナスから北上して突っ切る小さな道がGang Poolであった。運河添いのNederlander(Dharmanirmala)もGrand Java ホテルも既にプログした通りである。 写真はHotel Sriwijayaの前からSetnegの方角にVeteran通りを撮ったもの。
Ab2009_1206_124209dsc09107Abkanal_juanda

現在もこの道はAsamの木なのだろうか Asamと言えばTamarindoの大木のはずで写真では小さい木である。Setnegの辺りは大きな木が残っている。
よく植物の名前などで二つ以上の名前を持つと何が何か分からなくなるがAsamとTamarinndoは同じもので大きな豆の鞘をぶら下げた奴である。インドネシアでもう一つ代表の木はWaringinであるがこちらもガシュマロやBanyanの名前がある、パンチャシラの象徴の木で気根があるやつである。 
葉が生い茂るとはインドネシア語でRindangであるが、これには有名なベルリンのUnter den Lindenを思い出したがこちらはライムの木で北ドイツの木(?)は熱帯のインドネシアにあるかどうかは調べていない。

|

« Balai kotaはどちら | トップページ | BSDは60万本のGreen City »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Batavia百年1915(8) 中心地は緑濃きレイスウエイク:

« Balai kotaはどちら | トップページ | BSDは60万本のGreen City »