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2010年12月13日 (月)

DEPERDATAMがBAPETENに

先日の忘却ジャカルタ忘年会で少し話題となった昔の工業省であるが、今日お二人の先輩コンサルタントの記憶からその所在地を突き詰める事が出来た。
安東コンサルタントによると工業省の横の道を約半キロ位行ったところの道路の左手に、消防署が有って、消防車の納入の事で、よくSukuma署長のところに通った事、思い出されたそうで、小生がこれではないかと送った写真の中の1枚の、Badan Tenaga Nuklir(原子力庁?)の建物が、何だか昔の工業省のガジャマダ通りに接した玄間部分(奥に向かって建物が伸びていたような記憶あり)のようなとの事で、又広沢コンサルタントも昔の地図を送って来て頂き、それには工業省はHasym Ashari道路に面した角にあったようになっています。広沢さんによると、昔はDepartemen Perindustrian Dasar dan Pertambanganが正式名称で、略称DEPERDATAMと呼んでいたそうで、つまり1960年代当時の工業省の正式名称は、基幹工業・鉱業省で、その後、鉱業省は分離して、Merdeka Selatanにオフィスを構え、工業省もガトット・スブロトに移ったそうです。
Abasjuhari_073


Abbadan_tenaga_nukrie
Abketapan_072


但しこの角地には現在Lion Airが入居しているビルがあるが、そのとなりが昔の名残を残した玄関部分で少し離れて後ろにBAPETENと表示された本館がある。BAPETENとはBadan Pengawas Tenaga Nuklir Nsional 国家原子力庁である。本館は写真ではかすかに見える横に縞模様のあるビルである。念の為JJCのハンドブックを調べたら住所がJl.Kuningan Baratとなっていた。そのような住所名はおかしいが、また調べる必要がある。レストランJun Njanの話もあったが、それはGaja Tungggalの逆さピラミッドの所に出てくるBatu Ceperにあり漢字では永源であるようだ。

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