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2011年1月 2日 (日)

バタビア1930 (8) Berendrecht からシオン教会

正月2日は初荷、ここでもバタビア市内観光ガイドでもお送りしよう。

「ホテルを出てからモレンフリートの一つの橋を渡りBerendrechtアベニューを通ってニューチャーチにいく、その地域には大きな中国人のお祈りの家がある。そしてパッサール・バルーを過ぎてグヌン・サハリにでる。しばらく行って左手を北に取る。このJacatraの緑深い絵のような道路に添って下町に到達する。そこには1693年に遡る葡萄牙教会があり、裏庭には総督であったSwaerdecroonの墓が眠っている。そして帰りは又電車である。」

ホテルをデス・インデスとするとその前のモーレンフリート運河を越える橋はHasyim Ashariの先のアライトルース迄登った所でBatu Ceparに向かう道かもしれない。Abpasser_baroe_1820


その先はSamanhudiがグヌン・サハリまで行くのでBerendrechtアベニューとはそのどちらかであろう。 SamanhudiにはBasar Baruの裏側(表とも言える)の入口があり、その先に風見鶏が尖塔に飾ってあるGreja Ayamの大きな教会がある。写真は旨い具合にBatavia Passer Baroe 1820とあり左にGreja  Ayamが見える。Abbuddayana


この辺りで大通りから中に入ってJl. Lauze辺りを歩くと幾つも中国寺院があるがその中にKlenteng Sentiongと言うオランダ人居宅を寺院にした建物がある。そのあと、グヌング・サハリのJembatan Merahで左手に曲がりAbgreja_sion


今のPangerang Jayakarta通りに入りコタ駅近くのシオン教会に行く情景である。 この近くにエルヴェルフェルトの晒し首の像があり、戦前詩人の金子光晴が電車に乗って通り過ぎた散文詩を読んだ事がある。
帰りはこの電車で逆戻りのグヌン・サハリージュアンダーガジャマダと通って帰ったのであろうか或いはハヤムウルックを通ったのかも知れない。

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