« バタビア1930 (8) Berendrecht からシオン教会 | トップページ | 世界・日本・インドネシアの最大のモール »

2011年1月 3日 (月)

リーフデ号とバタヴィア号

最初の日本とオランダの交流は1600年の大分臼杵湾に漂着したリーフデ号である。
リーフデ号は2年前にロッテルダムの商社が派遣した5隻の帆船の中の一つでマゼラン海峡から太平洋を横断してきたが長い航海中に僚船も失われ船員も8割が死亡、わずかに出発時の乗員110名の中、生存者24名が漂着したもので、この中に日本史にも名前を残すヤン・ヨーステンとウイリアム・アダムスがいた。
この船は木造300トンの帆船で漂着後 堺に廻航され、又徳川家康の命令で関東に向かったが又も暴風雨に襲われ浦賀に打ち上げられた時はもはや使用に耐えず、放棄せざるをえなかったと言う。
Photo_2


VOC時代の難破船のリストがあるがこれによるとLiefde号は日本に捕獲され後日本近くで失われたとされた(Lost near Japan, after it was confiscated by the Japanese, in 1600)との記録があるが、僚船の記録は見当たらない。というか不明である。この船影が描かれた絵は有名であるのでアップしておこう。
このリストによるとVOC 時代で難破沈没した船は約700隻、1600年代100年でも約300隻がリストになっている。この中に「バタヴィア号の惨劇」として有名な、このブログでも紹介した事のあるBatavia号、 1200トン、300名乗員も Wrecked on the west coast of Australia on 04-06-1629として出ている。
僚船のリストアップがないので実際はもっとあるのかも知れない。100年で300隻なら1年で3隻故、何年か前のインドネシアと変わらないからである。

|

« バタビア1930 (8) Berendrecht からシオン教会 | トップページ | 世界・日本・インドネシアの最大のモール »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リーフデ号とバタヴィア号:

« バタビア1930 (8) Berendrecht からシオン教会 | トップページ | 世界・日本・インドネシアの最大のモール »