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2011年2月21日 (月)

インドネシア独立戦争3度の山

日本が占領したのが42年3月から45年8月迄、3年5ケ月に比べインドネシア独立戦争は45年8月から49年11月として4年3ケ月と、如何に独立戦争が彼らにとって長かったかが判る。この4年間の動きの中でいつも頭が混乱するのは似たような事件が複数出てくることである。そこで今回はそれを年表にとどめ前後を明確にしてみよう。
1945年9月 :印蘭軍の上陸
1945年11月 :スディルマン、アンバラワのイ軍攻撃 首都ジョグジャ防衛(戦功①)
1946年3月  :バンドン火の海事件 (撤退作戦①)
1946年10月 :シャフリルIII内閣 (リンガルジャティ締結)
1946年11月  :リンガルジャティ協定(オランダ連邦:協定①)
1947年7月  :第一次侵攻(協定実施交渉決裂 侵攻 ①)
1947年7月 :アミル・シャリフディン内閣(レンヴイル締結)
1948年1月  :レンビル協定(停戦ライン:協定②)
1948年1月  :シリワンギ師団、非武装地帯から涙の聖遷(撤退②)
1948年12月  :第二次侵攻 ②(停戦ライン 実施決裂 侵攻②)
1949年3月 :スハルトのジョグジャ占領6時間(戦功②)
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再上陸してきたオランダ軍から数え後2回の侵攻をよくぞ守り切ったものだと感心する。正義と外交の勝利でもあるが。 スネンのこの像はどうもその当時の戦う民衆の姿と思う。

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コメント

お教えいただきたいのですが
1950年代のインドネシア情報大臣で
「ブン・トモ」なる人物は実在するのでしょうか
何か、来日したことがあって、そのとき
大日本帝国を礼賛するスピーチをしたらしいのですが

「ブン」といえば「ブン・カルノ」「ブン・ハッタ」といった呼びかけに使われる言葉で、名前に出てくるのはおかしいような気がするのです

ご教示いただければ幸いです

投稿: むぎたに | 2011年2月22日 (火) 12時21分

「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)
本名ストモですね ブンは親密を表すPakに当たる。 このブログでも3回ほど出ますのでブログ内検索してください。

投稿: nishimi@indomalco.com | 2011年2月23日 (水) 11時46分

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