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2011年2月27日 (日)

メンテン31の面々

以前 メンテン31の青年たちと言うのをブログしたが、それはGedung Joang 45博物館の説明掲示板に書かれたもので続きがあった。 
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「8月14日Pemuda  Menten 31はKomite van Aksiを結成、即刻の独立を要求merebutした。 11人でスカルニが委員長でchairulが副、A.M.Hanafie が書記、他にAdam Malik、 Wikana、Pandu Kartawiguna、 Maruto Nitimihardjo、Kusnaeni、Darwis、Djohar Nur、Armunatoの11人であった。彼らは日本軍が使っていたメンテン31を取り返し拠点にした為Menten 31グループと呼ばれる。この時代の前後の背景や役割から見てメンテン31の中で突出した名前は以下の4人以外はいないだろう。それはスカルニ、ハエルル・サレー、ハナフイ、アダム・マリクである。」

写真は前回と同じく3年前で今は銅像は隣の事務所等の前から本館裏側(写真)に移されている。また写真は12人いるが銅像とも一致しない。 11人+1とするとブントモはこの写真12名の中に確実にいる。写真には名前が入ってないので紐つけは一苦労ではないだろうがいずれ。

原文が使えそうなのでアップしておく。
Ditinjau dari Masa dan peran mereka, baik pada masa lalu maupun masa kemudian,setidaknya ada empat nama yang menonjol di antara tokoh-tokoh Menten31 ini, Sukarni, Chairul Saleh, A.M Hanafi dan Adam Malik,

今日から過去記事にリンクを張ることができるようになったのでこの記事にした。
まず原稿を書いてブログにし、それを開いて過去記事のタイトルを選択するとすぐGoogle窓に表示されるので即検索し過去記事にたどりつく。そこでアドレスバーをコピーしておき、再度先ほどの書いたブログの編集画面に戻り過去記事のタイトルを選択し、用意されたリンクのバーをクリックし先ほどコピーしたアドレスを貼り付けしOKとして記事を保存すれば完了である。 便利なやり方がいくつかあると感心するのであるがこれはいつもクレームするVistaの御蔭だろうか。

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