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2011年2月16日 (水)

アンペラの本当の意味

ブロックMのアンペラが創業した1966年はゲシュタプ(G30S)のあと政治的・社会的・経済的に最悪の状態の時代である。全国の学生は早くも1965年10月25日にはKAMIを設立、居座るスカルノの国民不在の政治に年末には反スカルノへと舵を切った。Tritura(共産党解散、内閣改造、物価引き下げの三大要求)をを叫ぶ中、スカルノの組閣のDwikora II, Dwikora II内閣Iは国民の失望を買うものであった。そしてAmpera内閣までスハルトの足を引っ張る2元行政が続いたのである。Ampera(Amanat Penderitaan Rakyat)とは「 国民の苦悩の声」(国民受難の教訓)と言う意味でなんとスカルノの造語であった。指導される民主主義、革命の偉大な指導者となった翌年60年8月17日の独立宣言15周年記念演説でスカルノが使った言葉であるが、その後1966年6月の第4回MPRSで終身大統領はく奪など24項目を決定した際に決められた内閣組閣もAmperaと名付けられたのである。そして7月25日にスハルトはアンペラ内閣を組閣したが、未だスカルノの関与も大きくスハルトは内閣幹部会議長となったのみであった。年末から翌年にかけ、学生民衆のスカルノ追放の運動は盛り上がり 67年10月の第2次アンペラ内閣でスハルトはやっと大統領代行としてなり、ここまででスカルノは完全に失脚した。(同年8月ボゴール幽閉)民衆の代弁者を自負したスカルノには最後の土壇場で国民の声は届かなかったのであろうか。

レストラン アンペラはスンダ料理でサンバル、トウラシ・ゴレンやオンチョム(テンぺ使用)が自慢らしい。今度はビール持ちこみで行ってみよう。(アンペラシリーズ3:完)

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