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2011年2月14日 (月)

マタラム時代のマトラマンのモスク

クラマットラヤからマンガライに右折し数百メーターでチリウン河の小さな橋にたどり着く。Abp2060213


その左奥に緑色の形の良いモスクに出会う。何時か写真に撮っていてアルバムに残っていたこのモスクの所在場所が判らず、再度訪問して判った事だが、このチリウン河の橋を左に入った所にこのモスクがあり、そのモスクの前から左前方を見るとTaman Amir Hamzahの公園があった。
Abp2060216


Taman Amir Hamzahと言えば例のオバマ少年の家やワヒッドの家のある地区なのである。この地区はチリウン河が大きく湾曲するその湾曲の内側であり袋小路なのである。所でこのモスクは更に歴史的価値が高く、400年前の1628/29年、マタラム王スルタン・アグンがVOCのバタヴィア攻撃の際にこのマトラマン地区に拠点を築き、次いで兵士の為にモスクを建てたものと言う。
Matramanと言う道路自体マタラムからきているが、このモスクの名称はMasjid Jami Matramanで1837年に命名された。 スカルノはオランダ帝国主義と闘った時代、このモスクが戦略をねる、仲間との密会の場所として使ったそうである。
インドネシアの独立宣言の日、紅白旗がたなびいたスカルノの自宅はここから1km程度であり、どちらもPegansaan地区(Kel)なのである。

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