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2011年3月 2日 (水)

プートラとジャワ奉公会は別物

昨日3月1日はプートラの日とジャワ奉公会が設置された日である。プートラが1943年、ジャワ奉公会が1944年で中学の歴史の教科書では以下の様に記されている。
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「2.日本の方針とインドネシア国民運動組織の状況。
このようにしてインドネシアを占領した日本は 兄弟国としての政府の方針を宣伝、自らインドネシア民族の兄貴分と称じ又 神国日本とも称した。そのような訳で インドネシアヘの進攻はインドネシアを含む大東亜共栄圏を建設する保護者として看なす様求められた。従い始めは日本の占領がインドネシア民衆の同調を勝ち取った事自体 不思議ではない。更に日本の態度は その後 西洋の言葉と文化を禁止じ 西洋の本を抹殺する迄に 至った。反対にインドネシアの文化が尊重され インドネシア語が公用語ともなったものである。日本は兄貴分として認められるようインドネシア民族の心をつかむため努力した。共通の敵はイギリス、オランダ、アメリカであると知らされていた。この日本の方針は インドネシア民族にとっては 国家としての闘争力を強めるための機会として利用された。日本が作った組織にインドネシアの青年が参加していった事からもそう言える。日本によって作られた組織或いは運動は
a 三亜運動(Gerakan Tiga一A)
日本の占領時代 すべての政党は解散させられ そして新しい組織に編成し直された。最初の組織は1942年に作られた三亜運動でそのスローガンは『アジアの光り 日本、アジアの守護者日本、アジアの指導者 日本と言うもので サムスディンと鈴木が指導。目的は 日本を支援する精神を植え付けるものであったが 1943年には 成功せず崩壊した。
b. プートラ
民衆総力結集運動(Putera)1943年3月、プートラ運動が組織せられた。幹部は アンバット スランカイ(4人の指導者)として有名な スカルノ、ハッタ、デワントロとマンスールとであつた。
目的は日本への支援であったが インドネシアにとっては民族の主権を建設し独立へのへの闘争力を強化するべく民衆の精神力を鍛えるものと言われていた。
1944年には 日増しに日本の苦境が巌しくなるや このプートラは解散させられた。
c.ジャワ奉公会
これは全民衆に日本の力を崇拝させる為組織され 同盟軍に対抗する支援が求められた。」
とあるが、Putera(Pusat Tenaga Rakyat)はスカルノ・ハッタの民族団結力強化の期待と日本占領政府の本音がすれ違った為解散させられ、その代わりにジャワ奉公会が設置され、地方行政の末端までの社会団体の一本化を図ったがイスラムは例外とせざるを得なく、大きな力とはなりえなかった。今日は何の日も既に存在しない、記憶にもないものを挙げても余り意味はない。インドネシア人にとってはこれら日本製のものをうまく利用したという教訓を教えるものであろう。高校の教科書も章タイトルはHubungan dengan mobilitas Social dan Kesempatan Berpolitik としてより詳しく出ている。

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