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2011年4月23日 (土)

Falatehanはワリソンゴ

4月15日の「ファラテハンとファタヒラー」でファラテハンの記述を間違ったようだ。ファラテハンについては色々な伝説があるようで不明確な事が多いが、彼こそがワリソンゴの一人であると結論付けていたのであるが間違った昔の論文をそのまま使ったようである。Falatehanの父はSyekh Jamaluddin Akbarの代でスナン・アンペルと繋がる子孫である。(或いはSyekh Maulanaの息子でスナンギリと従兄弟という人もいる。)
北スマトラ、パサイで生まれ、メッカで3年間学ぶ。既にイスラムとなっていたデマクに帰りそこのスルタン・トレンゴノの妹を娶る。その後数年間は輝かしい軍隊の司令官としてジャワの北西海岸チルボン、バンテンを布教・征服し、1527年ポルトガル軍のスンダクラパ上陸を阻止しスンダクラパを勝利の町ジャヤカルタと改名した。バンテンではその領主の娘を娶り息子ハサヌディンを儲けのちにスルタン・バンテン王国1世とした。
これにより、チルボンとバンテン、スンダクラパが彼の手中に落ち、彼自身はチルボン王として1570年に死ぬまでそこで教えを説いた。死後、ジャティ山上に葬られスーナン・グヌン・ジャティとしてジャワのワリソンゴの一人として崇められている。
スラバヤの旅行記でもアンぺルもアンベルとか間違ったらしい。不得手な分野には手を出さない方がいいのだろう。

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コメント

ワリソゴには僕も興味を持っていて、二年前にそのうちの二人の墓所に詣でてきました。
「リンク」から記事に入れます。

これ以外にもマウラナ・ユスフなどの墓所に参詣するのがこちらの人は好きですね。Ziarahのグループツアーがあったりして、なんか江戸時代のようです。

投稿: 度欲おぢさん | 2011年4月23日 (土) 19時52分

スナン・グヌン・ジャティとのインタビュー、傑作ですね
母はパジャジャランの王家につながる人のようですね
120歳にもなるので省略しましたが、後世の人が色々同じ名前で話を作った訳ですか 

投稿: | 2011年4月23日 (土) 20時18分

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