« アセアン・サミットと元ヒルトン | トップページ | 大昔のホテル王なのか »

2011年5月 9日 (月)

Kongres Bahasa インドネシア語の発展

4月に亡くなったロシハン・アンワールは5月のクロニクルで5月が出生であることに触れたが、彼の時代、インドネシア語が国語として育てられた時代であった。6月のクロニクルで6月25日はインドネシア語の日であることが判った。それは1938年のこの日、全国インドネシア語会議Kongres Bahasa Indonesiaが行われた日である。この会議は1978年の第3回(第2回は1954年)から5年単位で2008年の第9回会議まで続いて開催されている。
第1回会議はインドネシア語を共通の言葉にした青年の誓い(1928年)を祈念して行われたもので、インドネシア語の普及、正しい言葉の追求で当時のジャーナリストが集まって議論したもので、議長はDR. Purbatjaraka、副議長 Amir Syarifudin、他にKatja Soengkono、Shah Moh、Soemanang、Soegiarti、Maria Ulfah が招待状に発起人で名前が挙がっている。又Prof. Dr. Hoesein Djajadiningrat, Ki Hajar Dewantaraが代表的参加者であったが、Anwar氏の名前は見つからなかった。(それもそのはず、彼はその時16歳であった)、その後日本軍は日本語を強制できずインドネシア語を公用語とし、1945年憲法でそれが定められた。1947年Soewandiスペリング(Ejaan)、1972年簡略化とか進められ手現在に至っているが、ちょっと進み過ぎた嫌いがある。 

|

« アセアン・サミットと元ヒルトン | トップページ | 大昔のホテル王なのか »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Kongres Bahasa インドネシア語の発展:

« アセアン・サミットと元ヒルトン | トップページ | 大昔のホテル王なのか »