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2011年5月23日 (月)

トルノジョヨの名所

クバヨランの昔の紙幣印刷所のとなりのサッカー場の前の道はトルノージョヨ通りでシシンガマンガラジャのアセアンセンターから共和国警察本部、002010jan30obama_veteran_thamrin_su


ウオルター・モンギシディに向かう所のPLNの前の国家警察機動隊(ここに警察ミュージアムもある)迄の3ブロックと短いが、目印には事欠かない。アセアンセンターととガジャ・マダ像が立っている警察本部の間にも大きな建物があった。00sep07_salemba_kopi_011


南ジャカルタ区庁舎であるが余り目立たない。道路の名前になったTrounojoyoは17世紀の人で反オランダの英雄である。
マタラムが建国されスルタンアグン王の後、子息のアマンクラット1世の政治はイスラム貴族の権力拡大もありイスラム6,000人を粛清したことも有り、世の中に不満が沸いていたとき、マドゥーラ島の王族のトルノージョヨはマジャパヒットの末裔と称し1674年反乱を起こした。反乱軍の勢いは強く、又マカッサルのブギス海賊の反オランダ精神から応援に参戦するものが多く1677年クディリを都と定め更にマタラムの当時の都ブレレッドも占領した。 1678年になるとオランダ政庁はついで即位したアマンクラット2世の求めに応じ有利な条約と引き換えに制圧に出てきたため、反乱軍はクディリを捨て、逃亡、トルノージョヨも1682年山中で捕らえられ処刑された。 長い反オランダ戦争の一コマにすぎない。 道の長さに現れているのであろうか

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コメント

南ジャカルタ市の市庁舎はJL.Prapanca
墓地跡に移ったのでは?

投稿: 度欲おぢさん | 2011年5月26日 (木) 09時36分

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