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2011年5月10日 (火)

大昔のホテル王なのか

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ガジャマダ・プラザの手前で左に曲がりRoxi Masを超えてCiputraに向かう道はHasyim Ashari通りであるが大昔から有ったがごとくで昔はGang Chaulanと呼んだ。それはバタビア回顧旅行シリーズ「バタビア1930(7)」でふれたが、このChaulanとは或るフランス人の名前から来ている。本当の名前はSurleon Antonieであるが皆Chaulanと呼ぶからそうなったらしい。
彼はJJ. Dideroと共に1828年Moenswijkと言われた土地を購入した建築家として知られている。Moenswzjkの名前はその最初の所有者である、全盛時代のVOCの理事の一人であるAdriaan Moensから来ている。
二人はその所有地でHotel Chaulanとして最初知られたHotel des IndesやHotel de Provence (1835)、その後Rotterdamsch Hotel (1854)を作った。
一世を風靡した名前のHotel des Indesは1856年5月にオープンした。Oud Bataviaの著者Dr. de Haanによると、その新しい名前はMultatuliの著書の助言があった。 聞いたこともない固有名詞ばかりで失礼しました。

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コメント

Chaulan weiで思い出しました。ここには日本人会と日本人学校が昭和17年当時ありました。

現在の地名ではJl. KH Hasyim AshyhaiのKali Krukutにかかる橋の西詰めの南側です。
(2006-10-02 前日本人会会長の石居日出雄さんから)
同氏のご母堂がここにあった日本人会の建物を1935年に改築して小学校を開校し、同氏はこの学校に1941年まで通学していたとのことでした。

位置はS6 09'56", E106 48'55"です。Google Earthでご覧ください。

投稿: 度欲おぢさん | 2011年5月11日 (水) 10時03分

よくご存じですね。大変興味がありますので、今度見てきます。立派なホテルもありましたが。。

投稿: nishimi | 2011年5月11日 (水) 15時38分

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