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2011年6月22日 (水)

復興したシトゥ ギントゥン ダム

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Situ Gintung Dam が決壊したのは日本に居る時だった。もう2年前の2009年3月28日早朝だった。連日の雨で水量を支えきれなくなったダムが決壊し一瞬に多数の命を奪ったのである。日本に帰る日開いていたマップに出ていたこの地名を思い出し行ってみた。アパートから一直線に下るCiputat Rayaであるが、シマトゥパンの高速で反対からの一方通行に変わる為、渋滞に巻き込まれてレバックブルースのターミナルの方へ迂回されそこからCiputat RayaはJalan Juandaと名前が変っている。運ちゃんがちゃんと知っていたから行けたが、この大通りを数分もくだった所の目印もない左側に入ると直ぐである。
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あの決壊事故にはユドヨノ・カラ正副大統領が飛んできて、復興を約束しただけにきれいになっている。思いのほか小さく、決壊も、幅羽せまく縦に長くやられたようである。
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災害の記録も、被災者のモニュメントもない所であった。特別な機能もないダムになってしまったので観光にでもと思うが、数分の散策で切り上げるしかなかった。ネットで探すとなんと自分の記事「Situ Gintungダムの決壊で200人以上死亡」が出てきた

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インドネシア自然風土文化」カテゴリの記事

コメント

ほほう。もう湛水を始めたんですね。
2月20日に尋ねた時には右岸側の堰堤が未完成でした。

決壊したダムは1933年に完成した16mの高さがあるアースフィルダムです。
完成当時は下流側にほとんど人が住んでいなかったのですが、ジャカルタに人口が集中するにつれ、川岸の崖下にも無断居住者が増え、かれらが犠牲者になったようです。
1933年当時は今のクバヨランバルはまだゴム林で、タムリン通り近くまで行かないと住宅地はなかったようです。

これからも楽しみにしています。頑張ってください。

投稿: 度欲おぢさん | 2011年6月22日 (水) 22時40分

お早い反応 ありがとうございます。
小生が先を越したみたいですね
だけど写真はだめです。100万ルピアの現地製なので。

投稿: | 2011年6月22日 (水) 23時29分

できたら三万円以上のコンデジがよいですよ。せっかくあちこちおいでなんですから、良い写真を残しておかれるのがよいと思います。happy01
僕も最近は普通はコンデジで、イベントの時には一眼を持って出かけています。
とくにうす暗い場所で撮った写真はカメラのccd(受光器)の違いが明確に出ますので。

投稿: 度欲おぢさん | 2011年6月22日 (水) 23時49分

お早い反応で
今度買ってみます。昨日のTVでは女性用がどっと販売戦線に出てきてました。あまり機能はいらない女性用はいいのかも知れないなとおもいました。
メーカーはどこがいいですか ニコン、ソニー、オリンパスと墓場行きですが、、安いのを選んだのがいけなかったのかもしれません。
所で
ここに書くとメールアドレスにも転送されるのですか

投稿: | 2011年6月23日 (木) 12時32分

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