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2011年6月28日 (火)

二人いたスダルソノ、今日は何の日

1946年6月27日から28日の未明にかけてJogja 軍管区司令官スダルソノ小将の部隊(ユスフと言う将校)が対蘭独立交渉中の当時の首相シャフリル及びスダルソノ内相、ダルマワン・マングンクスモ商工大臣を拉致した。 スカルノ大統領は、スラバヤの部隊やシリワンギ師団を呼び寄せまた30日にはラディオで開放を呼び掛け、 シャフリルは7月1日に解放された。その後過激派の逮捕が続く中、ジャカルタではアミールシャリフディン国防相が狙撃される等不穏な事件も起こった。7月3日スダルソノ小将及びヤミンは宮殿に相次いで乗り込みスカルノにシャフリルを追放(代わりにタンマラカを起用)するよう強要する4ケ状の誓文を出し、その場で親衛隊に逮捕された。その後、スバルジョ、イワクスマ・スマントリ、アダムマリクも逮捕されている。(スダルソノがタンマラカを開放した記録もあるがそうとは思えない)
この7月3日事件はタン・マラカのクーデターと称されたが彼自身は3月の第2次シャリフ内閣成立以来未だ獄中にいたので陰謀の匂いがする。
スダルソノ小将はスデルマン将軍の輩下で、将軍も闘争派に属していたが将軍も7月3日にはスカルノの説得された。この事件で逮捕された闘争派の人達はタンマラカを除き死刑も長期の懲役刑も課されず2年後には恩赦で政界中央に復帰している。(タンマラカはマデウン事件の時、釈放されたがそのあと不運な死を遂げている)
スダルソノ内相については、それをさる同年4月4日に対蘭交渉でハーグに派遣されている歴史事実もあるので間違いなく存在する。 二人のスダルソノが登場し、スカルノとスディルマンが手を組んだ事件の匂いもある事件なので真相が伝えられず、6月のクロニクルの間違いのもととなった。

1596年のオランダ Houtman 一行バンテン到着も6月23日であるが6月27日迄居たのかその日付のものもある。この場をかりてお詫びしたい。


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