« ルーテルの3大原理 | トップページ | 国防省は元日本軍憲兵隊本部 »

2011年7月18日 (月)

メンテン31も接収

00dsc01515_2


「メンテンの上記の博物館の説明石碑に次の様な文章があった。
蘭領インディッシュ時代、この建物はSchomper Hotelと言う名前でホテルとして機能していた。
オランダが1942年3月8日に日本に降伏した後この建物は日本軍に接収され、日本を宣伝する部署(SENDENBU)となった。
1942年7月、宣伝部は青年たちに、インドネシアにおいて日本政府を支援する(menyokong)為の青年たちへの教育する場所とした。
その他にも日本はこの建物を独立を迎える(menyongsong:逆行する意味もある)全青年たちを教育する場所として使用する事も許した。この場所は軍政監部・宣伝部により支弁された政治教育の場となった。日本の意図、目標は青年たちを東アジアの勝利(Asia Timur Raya)の士官に育てるものであったが後にインドネネシア青年たちにより曲げられ純粋なインドネシアの独立を目的とした教師となる為となった。この教育センターは後にインドネシアアンカタンバルの塾(Ashrama Angkatan Baru新セン組)として知られるようになり、そして最後はメンテン31塾となり青年たちはメンテン31の青年と呼ばれた。1972年にSTBL NO.231、記念遺跡法及びDKI市長令11・1・12・72により歴史建物として認定され1974年8月19日にこの建物はMuseum Joang 45として博物館となった。」
少し日本軍に行を上げ過ぎである。00jagoan_back


45だけで1945を表しJoangはJuangで闘争であるが
45人の青年たちがメンバーとなったと思っていたが、名前を残した青年たちは20名くらいか それは既に紹介済みである。

|

« ルーテルの3大原理 | トップページ | 国防省は元日本軍憲兵隊本部 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: メンテン31も接収:

« ルーテルの3大原理 | トップページ | 国防省は元日本軍憲兵隊本部 »