« 国防省は元日本軍憲兵隊本部 | トップページ | ユニレバーも投資活発 »

2011年7月22日 (金)

DephankamのSudirmanとSumoharjo

国防省の建物は横広で真ん中の建物が目立つため左側の建物を見落とすが、左端の高層近代ビルは措いて置くと、そのビルの手前或いは左側にある入口から入るとその真先にも一つ、建物があるのに気付く。
00kota_2008_mar_019_2


此方も白亜の2階建てビルで正面に高い円柱が7本その奥に7本の円柱が並んでいるように見えるのでここは円柱に囲まれたギャラリーを持つインディっシュ造り住宅の名残をとどめているようだ。この建物の最初は1924年のRechtshoogeschoolで右の国防省となっている建物が建築された後はそのSchoolの機能をそちらに移したようだ。 オランダの最高弁務官の住宅にも使われたしKopkanmtib が使った時代もある。この建物は国防省本体をGedung Jenderal Sudirmanと呼ぶのと併せ此方はGedung Jenderal Urip Sumoharjo と呼ぶそうだ。同じ国防省の敷地内にあるので日本占領時代は同じく憲兵隊が使ったのであろう。 
スディルマンの像はあちこちに建っており、道路名も、誰でも知っているが、Urip Sumoharjoはジャティネガラの中心のコイノニア教会の所で左に折れる小さな通りに付けられている。Urip SumohrdjoはSudirman司令官の右腕たる参謀総長であった。ついでに伝記要点を書くと:
1893年中部ジャワ・Purworejo生まれ、マゲランの官吏養成学校、ジャカルタのジャティネガラにあった士官学校を経て蘭印軍(KNIL)に入隊、1935年インドネシア人としては最高位の少佐に迄栄進後辞任、1942年日本軍進攻により逮捕されるが釈放後は田舎にこもる。独立後1945年10月5日のTKR創設に参じ参謀総長、中将となり国軍創設に貢献した。1948年11月に死去、ジョグジャのスマキ英雄墓地に独立擁護英雄として眠る。

|

« 国防省は元日本軍憲兵隊本部 | トップページ | ユニレバーも投資活発 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: DephankamのSudirmanとSumoharjo:

« 国防省は元日本軍憲兵隊本部 | トップページ | ユニレバーも投資活発 »