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2011年7月13日 (水)

シティホールから歴史博物館へ 日本軍も接収

1905年バタビアは総督の下で公式には初めて市長と市協議会の下で経営される法定都市となった。最初の市長はGJ Bishopで、道路、運河、水浴所、井戸、墓地、ごみ処理所の設置を進めた。協議会はこのシティホールで行われた。その後1913年に一旦アブドゥル・ムイスに移ったが1919年には現在のムルデカ・スラタンに移転した、
1925年に、州制が引かれバタヴィアはバンテン、プリアンガン、チレボンを含む西ジャワ州となり、州政府がこのシティホールを使用する事となった。日本が占領した時代には州は廃止され、オランダ時代のレジデンシが復活された。又日本軍はオランダ人公務員等すべて収容所に収容し公式文書も焼却したため市行政は衰えた。このシティホールは1945年まで日本軍の物資管理事務所として使用された。その後一旦未使用となった後1952年に市第1軍区司令本部として、その後西ジャカルタ503連隊本部になり16年後市に返却された後1974年3月30日、時の市長アリサディキンがジャカルタ歴史博物館としてオープンしたものである。
写真は裏庭から。今ならmだ見られるか見どころは?
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1階に前史時代からヒンズー・仏教時代の石碑、ポルトガル時代の石碑があるが全てレプリカである。見どころは、ヘルメスの像、大砲Si Jagur、絵画:デポネゴロ王子の逮捕、日本女性サラ、エーベルフェルトの首がストリートしても面白い。
最初のシティホールは1619年頃、2代目が1627年、現在の者は1710年に建った歴史があるので何が1905年なのか、単なる市制の問題だったのでろう。

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コメント

今日、Merdeka baratの国立博物館の後にこの歴史博物館に行こうとしたらGlodk付近が大混雑していたので戻ってきてしまいました。
次回は是非訪問したいと思います。

今日は国立博物館の石碑の写真を撮ってきました。
説明文がほとんどなくて不親切でした。

投稿: 度欲おぢさん | 2011年7月16日 (土) 20時52分

kousokude
Jembatan tigga atarikara access suruhouga iidesune

areha ishikorodeshou
shouseimo zennbushasinntorimasitag

iyaninarimasune

mata vista de
yararetemasu

投稿: | 2011年7月19日 (火) 21時24分

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