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2011年8月17日 (水)

BPUPKIの英雄たち

インドネシアの政府機関にBadan-Pが多いことBP-7で紹介したが、その走りとも言えるのがBPUPKI( Badan Penyelidik Usaha Persiapan Kemerdekaan Indonesia 独立準備調査会)である。
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Radjimanが会長でR.P. Soerosoが副であった。調査会は2回行われたが、場所は今のパンチャシラ記念館である。
Soerosoはチキニに行く時のGondandia通りの名前になっており、昔纏めた伝記では;
Raden Pandji. Suroso(1894年~1981年)は独立後は中部ジャワ州長官、Bakin長官、50年にはナッシール内閣で労相、後55年まで歴代内閣で人事省、社会省、公共事業省を任じる。1950年人事相として数万の農園労働者のストライキを鎮めたり、労働紛争解決委員会(P-4) を設置した。1962年、地方分権委員会の委員となり、地方自治法の立案に参加。1966年スカルノ末期の国民協議会でスカルノ大統領の責任を追及した終身大統領としての地位を剥奪することとなる。
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1972年には初めて、インドネシア公務員住宅(188戸)の建設を行った。1986年国民英雄となる。
BPUPKIは60人がインドネシア人、4人中国人、7人日本人であった(アラブ系なども60人の中にいる)日本軍が指名したこの委員の中から何人も国家英雄が生まれている。 写真は本文に関係ないがGondandia Raya通り(Jlalan R.P.Soeroso)にあるGODIRA ホテルである。Go-diーRaと略している。      

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