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2011年9月13日 (火)

又もタムリン像論議

DKI市ではタムリン通りにタムリン像を立てる計画と言う。タムリンと言えば日本が占領した直前までオランダからの独立の為VOLKSRAADでインドネシアを代表し戦ったインドネシア国家英雄で、M.H.Thamrin通りの名前となっている。 銅像を建てる話は随分昔にもあった。スデイルマン通りにスディルマン将軍像が立った時も、その話があり、インドネシアではやたらとその道路と何のゆかりもない人の、名前が付けられている現状がありせめて銅像でも立てるのかなと思ったものである。こうなると全ての人物の名前が付いた道路には銅像を立てなければならなくなるし、そうしないと、立てられた人物とそうでない人物に格差を付ける事になる。元々国家英雄など独立迄の話で、もう独立後何年もたった成熟国家には一人二人の英雄はいらないとする主張もある。日本も大勲章とかあるが一般に受け入れられたものは昔から、ない。せいぜいお札の人物像か、今は国民栄誉賞で、今はそこには政治家はいない。
タムリンを立てるとせば、モナスのジャンクションが予定され、そこにあるアルジュナ像をどこかに持っていかなければならなくなる。どうせならスデルマンとの境目の印に、向かい合わせにしたらどうだろう。予算も相当掛かるが00


タムリン像は既にクナリの元自宅庭に建っているのである。
Thamrinの略歴については2006年10月20日の「タムリンThamrin通りと銅像」にしたためたが再度書くと次の通り。
Muhammad Husni Thamrin(1894-1941)
ジャカルタ サワーブサール生まれの穏健民族主義者。 ブタウイの高級公務員の子供として、オランダのウイリアムIII、SMAを卒業後、県レジデン理事官事務所や王立航海会社に勤務、1919年にはオランダが搾取から懐柔の倫理政策に転換するやすぐにバタビアの市議員となる。更には1931年、バタビア協会代表として国民参議院議員に任命される。高まる民族運動でオランダはスカルノ他相次いで逮捕した中、穏健派民族主義を懐柔しようとしたが、タムリンは1935年ブディウトモと共同し大インドネシア党(PARINDORA)を結成、更に1939年には民族運動を統合するGAPIを結成し、紅白旗メラ・プティ、インドネシア国歌のインドネシア・ラヤ、バハサインドネシアの使用を要求した。1941年には日本との協調を疑われ逮捕されるに至った。逮捕の5日後(1941年1月11日)に急死したが毒殺であるといわれる。
サレンバラヤのパッサールクナリの裏辺りにある記念館の前庭には彼の銅像が立っており、子供達が遊んでいた。この記念館は彼が1929年にオランダ人から購入し高まる民族主義者たちのための集会場所として提供したものである。

一般の本には以上のような略歴であるが、彼の父はwedanaであった。(wedanaという語彙は意味不明ながらオランダの地方行政に指名された役職で知事などに当たると思う)

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