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2011年9月22日 (木)

ハイリル・アンワルのKarawang-Bekasi叫びの勝利

モナスの西側にタムリンの胸像があったが、北側にはChairil Anwarの胸像がある。 インドネシアの詩人であるが文学分野でオランダとの戦いを挑んだAngkatan 45の代表である。彼が謳った詩Karawang Bekasiと言うのがあるがこれはオランダ軍によるRawagedeにおける村民431名の虐殺事件を糾弾する歌である。
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オランダ軍は反戦指導者LUKAS Kustarioを追ってRawagedeにやってきたが村民はKustarioの所在を明かさず、結果1947年12月9日オランダ軍は男の村民431名を銃殺した。64年も前の事であるが2008年になって残された未亡人10人がオランダ政府を告訴し、今年9月15日にその判決で勝利を獲得したのである。
モナスのアンワールの胸像にはこの詩が刻まれている。
“Kami yang kini terbaring antara Karawang – Bekasi Tidak bisa teriak 'Merdeka' dan angkat senjata lagi” 我々は今カラワンとブカシの間に散華し、ムルデカを叫ぶことも武器を取ることもできない。
その村に行くと死亡した431名のお墓がびっしり並んでいる。村民は実際Kustarioの所在を知らなかった事が後で判明したとのことが勝利の判決となったのであるが、知っていたとしても明かさなかっただろうと名誉を維持している。理由如何でオランダが正当化される問題ではないし431名に十分な賠償をすべきである。 オランダ人も残酷なことをしたものである。

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