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2011年9月28日 (水)

吉住 スバルジョ タン・マラカ

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独立戦争初期の1946年頃は3月のバンドン火の海事件に見るようにインドネシア軍装備も緒に就いたばかりでオランダの軍事力が圧倒した時代といえるが、当時のシャフリル首相の弱腰妥協外交に敢然と完全独立を主張し活動したのがタンマラカ人民戦線である。スカルノは交渉に相手にされない浮いた存在で民衆の期待はタン・マラカに集まった感があり、スカルノは2月総辞職に追い込まれたシャフリルの再起の為、タンマラカ以下幹部を逮捕している。その後も闘争派の動きが続き7月3日事件となっていく訳でであるが幹部が逮捕された後も闘争派に組した人物の中にはスバルジョがいる。スバルジョは海軍武官府の吉住調査第3課長の輩下で吉住は将来独立を容認した民族工作に従事しており、工作の資金作りもうまく、各地のプムダを組織していった。スバルジョの他ハイルディンもおり、終戦時吉住は工作資金をインドネシア独立の為に使用するように部下に預けたのであるがこの吉住の組織と資金がタンマラカの組織作りにそのまま移行し貢献したらしい。 タンマラカは従い日本旧海軍が母体のラシュカル派と言え、対する政府側はシャフリルが牛じる日本陸軍PETA母体の軍であった。事件の引き金になったのはスディルマン輩下のスダルソノ将軍がシャフリルを一時誘拐した事から始まった。 事件そのものはスバルジョ・マリク・イワクスマ等も逮捕されマラカの敗北におわったが、その後共産党のムソのマディウン事件に際し対抗上2月に逮捕していた者も含め全員釈放され、政界の表舞台に復帰できたがラシュカルの兵士はダルルイスラムに流れるしかなかった。この事件はタン・マラカのクーデターとかスカルノ・スデイルマンの劇とかスバルジョのシャフリルとの対立事件ともいわれる。「スカルノ大統領の特使」に吉住資金とタンマラカの繋がりが出ていたので上記のように組み立てて見たが、それぞれの役回り・関与は未だ不明のままである。「スカルノ大統領の特使」は1981年出版で480円であるが古本は900円であった。

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コメント

この記事と写真のお寺とは何かの関係があるのでしょうか?

投稿: 度欲おぢさん | 2011年9月29日 (木) 21時59分

失礼しました。適当な写真がなく。。
これは吉住・市来さんの顕彰をたたえた碑がある東京の青松時で顕彰碑にはスカルノの言葉(独立は一国家のものならずとか?)が刻まれています。小生のブログにずいぶん前にのせました。

投稿: jakartan | 2011年9月30日 (金) 14時38分

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