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2011年9月 9日 (金)

Sapta Pesonaの省の名前

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インドネシアの観光振興のモットーはSapta Pesonaであるがこのモットーはムルデカバラットの文化観光省のビルの名前になっており大きなビルの道路わきにでかでかと飾られている。観光省は小生にとってはJoop Abe 大臣迄遡る。オランダ人との混血であるがのスハルトの謂わば茶坊主みたいな人でスハルト全盛の良き時代を思い起こしてくれる。実際に大臣になったのは1993年であるが80年代スハルトの下で働いていた。現在の省の正式な名前はMenteri Kebudayaan dan Parwisata、大臣はJero Wacikと言う。
この省の名前は色々変遷がある。日本でもそうであるが省の名前はよく略称される。現在は知らないがDEPPARSENIBUD時代の名前がインドネシアらしく好きである。
観光省の歴史を辿ると独立最初の省は16あるが一番近いのは教育文化省かもしれないが観光の名前が出てきたのは1962で運輸・通信等と一緒になっており、そのあと観光の名前が消えたりまた出てきたり相手が変ったりしている。例えば
1959:Menteri Muda Perhubungan Darat dan Pos, Teleg.dan Telが最初らしいが41大臣もいるなかの副大臣の管掌らしいが名前は未だ出ていない。
1962:陸運・郵政・通信・観光として初めて名前がでる。その後動乱の時代を省略するとスハルトが組閣した時からまた名前が消えている。多分この時から懐かしいP dan Kの教育文化省の下にでもあったのではないか。と言うのも復活するのは1988だからである。
1988:観光・電話・通信として観光が復活。 P&Kもその名前で存続。
1998:観光・芸術・文化としえ文化を取り込むのでP&Kは教育省に専任。
2000:観光・芸術
2001:文化・観光として語順を変えて現在に至っている。
日本の省の名前もおぼつかなくなったのによその国の省の名前の歴史等意味もないかもしれない。

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