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2011年10月19日 (水)

10月17日とシマトパン参謀総長

10月17日は1952年の10月17日事件の日である。ナスチオン参謀長及びシマトパン参謀次長はインドネシアの主権委譲後は、巨大となった国軍を縮小し合理化を進める考えからスカルノに提案したがスカルノの反対にあい、政党間の争いを招来し総選挙等を要求し大統領府に大砲を向けた示威デモを行った事件である。軍の政治関与が問題となり二人とも失脚した。実際は1954年国防法成立で総参謀長ポストの廃止が決まり軍事顧問に降格された。
二人とも北スマトラ出身で1940年頃オランダのバンドン司令官学校で軍備を学んだ為、親オランダ派と見られPETA出身者の勝利と言われた。また政府と軍の相互不干渉の先例となった。ナスチオンはその後1955年プルメスタ前夜の軍の対立、西イリアン開放に向けた中で復活した。シマトパンは独立戦争のゲリラ戦の間、スデルマン司令官を補佐した参謀次長で、その半年間の記録を自ら筆を取り「インドネシア独立への道」として著わしている。キリスト教徒で後に世界キリスト教会協議会会長までやっているがインドネシアの英雄リストにはない。
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写真はジャカルタ南部アウターリンクのシマトパン通りのマンションの一つ。

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