« Sampoernaはサゴへ | トップページ | Cosmoの前のGOR Bulungan »

2011年10月 4日 (火)

Gelanggangと言えばスカルノ/サディキン

何度も出てきたGelanggangであるがGelanggang Olahraga運動場と言えば省略してGelora でスナヤンのGelora Bung Karnoの代名詞である。ここはスカルノがアジア大会の為建設したものである。その後スカルノは全国に青年の為のスポーツ施設を作るべく考えていたようであるが。1966年にAli Sadikin を市長に任したジャカルタだけがこの施設を展開して行った。ジャカルタの5つの区に一つずつ合計5つあるはずである。此方はGelanggang Remeja或いはGelanggang Mahsisiwa、略称してGORが名づけられている。しかし今眼にする時この施設は5つどころではないようだ。
00dsc02747


この間ジャティネガラを下ったOTISTA通りでも写真のを見た。ここはJakarta Timur区のもので GRJTで呼び出すと以下の所にもある。すなわち、Jatinegara、Ciracas、Cipayung、Pasar Rebo、Makassar、Pulogadung、Duren Sawit、Cakung、Kramat Jati、Matraman。 こういうのはKecamatanが持っているSekilas等と冠しているのもあるが、これだけ末端まであると言うのは青年の教育面で素晴らしい力を発揮していると思われ感心するが、スタッフに聞くと参加したことが無い人もおり、またニュースに出る頻度はPesantrenに負ける。

|

« Sampoernaはサゴへ | トップページ | Cosmoの前のGOR Bulungan »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Gelanggangと言えばスカルノ/サディキン:

» インドネシア 多民族国家という宿命 3/3 ~国際的位置づけ [投資一族のブログ]
非同盟から反共へ インドネシアの外務省のエリートコースは国際機関が本部を置いているニューヨークやジュネーヴの大使館勤務だといわれている。日本が得意とする二国間外交とは違って、インドネシアは伝統的に多元的外交(多国間強調主義)を原則として、東西冷戦下ではどちらの陣営にも距離を置くことで国家主権の維持と国益の獲得を目指してきたからだ。インドネシアの外交官は自らの国の立場について胸を張りながら「南の代表」「穏健派イスラムの代表」「ASEANの盟主」「非同盟諸国の雄」などと表現する。マルティも最初、ニューヨ... [続きを読む]

受信: 2011年10月27日 (木) 21時10分

« Sampoernaはサゴへ | トップページ | Cosmoの前のGOR Bulungan »