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2011年10月21日 (金)

Hang Tuahの友達 Hang Jabat

Hang Tuaに戻って、Hang Tuahの幼友達のHang Jebatとの喧嘩の話もある。Hang Tuahは王に対する深い忠誠の人で人々の人気も高かったが逆に妬まれて王の侍女と姦通したと言う噂が流れた。スルタンは裁判も無く死刑を言い渡したが、財務官の友情で地方にかくまわれて死刑を免れた。Hang Tuahがスルタンの為不法に殺された事を信じたHang Jebatは復讐の為王宮を訪れ大暴れした。王宮でこれを止めれるものは誰も居ず財務官はHang Tuahを思い出し未だ生きている事をスルタンに告げた。スルタンは恩赦を与えてHang Jebatと闘わせる事とした。7回の激しい戦いの後Hang TuaはHang Jabatを殺してしまった。 と言うもので何とも気持ちがしっくりこない話である。あにはからん、やはりこの話にはまた別のHang Kasturiとか登場し話の真実は伝説の中に消えてしまう。
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Hang JebatもHang Tuah通りの近くにその名がつけられた道がある。両者の間には別の道がある。別の道というのは新 コスモの店の前の道 Bulunganを北に上るとJl.Kyai Maja(プルタミナ病院に行く道)に行きあたるがこれを超えるとJl. Patiunusと言う道になるがこの道の右側がHang Tua通りであり左がHang Jebat通りである。 つまりHang Jebat通りはプルタミナ病院からシシンガマンガラジャに向かって直ぐの最初の左折の道である。写真はそこにある保健省の関連庁と思われるBadan Pengembangan dan Pemberdayaan Sumbur Manusia Kesehatan の役所がデンと聳えている。

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