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2011年11月 2日 (水)

Hang Lekiu とHang Lekir

Hang Tuahと言うマレーシアの伝説物語はHikayat Hang Tuahと言われるがこの中で彼を取り巻く武人には後4人いる。 前回登場した Hang Jabatは特にHang Tuahと対比され、Hang Tuahは忠誠の人でHang Jabatは真実と正義の人で描かれる。 二人の名前を付けた通りはクバヨランの入口の所で並走する形である。 (間に1本道があるが横につなぐ道もあるので梯状か)
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Hang Jabatは最後、Hang Tuahとの決闘で殺されるが実際はJabatでなくHang Kasturiだともいわれる。このほかにHang Lekiu とHang Lekirの二人がいる。Kasturiの名前の道路はないが Hang Lekiu とHang Lekirの名前はある。

Jl. Hang LekiuはHang Jabat通りが北上しPakubuwono通りとぶつかる間の左の区画である。この辺りはキリスト教会や高等学校があり、車も入ってこない静かな一角である。 Jl. Hang LekirはPakubuwono通りからスナヤン・シティに向かう道で良く使う道である。途中に昔からHostelと言うのかTulip Hotelがある。
Hikayat Hang Tuahの内容はマレーシアの歴史学者や文学者で相当ディベートされているが他の伝承と矛盾も相当ある。Hangと言う名前も中国系の名前である。出てくるスルタンはマラッカのスルタンでマラッカは当時明(?)の属国で、シャムの侵略から守る為或いは、スルタンの妻となったHang Li Po(?)を守る為に中国から派遣された5人の武士団(兄弟に近いか?)である。(Hang NadimはHang Tuahの子供)
インドネシアから見るとこのマラッカはスリウィジャヤ出身のインドネシア貴族Parameswaraの子孫が作った国で、Hang Tuah等はParameswaraを守る武士団である。
写真に、いつか利用できるとかもしれないので、Hang Lekiuから教会とHang Lekirからホテルを代表してアップしておこう。 

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