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2011年11月の投稿

2011年11月29日 (火)

インドネシア最近の入国審査状況

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最近のジャカルタ入国審査は昔の状況に変わったように堕落している。曲がりくねった長い列を避けようと金を見せて別口を探す男もおあれば、係官はカウンターの裏に旅行者を連れ込み交渉に持ち込んだり、どの係官もふたくせありそうで何か問題をつかれたりしている。
小生の場合は、何を言うかと気が付いたらカメラを指差しFoto2と言うだけであった。顔写真を記録に取っているようだ。隣の韓国女性は指紋を取られたりしていたが、小生はなかった。
審査手続きも厳しくなりいやな時代になったものだ。それに昔の入国審査カウンターはインドネシア人専用となり、外国人は到着Visaの直ぐとなりの場所にうつっており、小生など審査が早いインドネシア人の所に並び突破を試みたが、果たせず結果2度並ぶ羽目になってしまった。これが今日10回目の不運で、1回目はシンガポールでラウンジバウチャー要求したらすぐ貰えたが場所が判らずうろうろしているうちに搭乗時間1750が迫り、果たせず、所が搭乗は何時になっても始まらず、案内も無いことに誰もクレームすることなく、前方横を見ると機長以下クルーが待っている。いやな予感がした通り、ジャカルタからの便の到着が遅れているのだ、観念していたのであるが1920にやっと搭乗、今日は本当に100%の搭乗で8時に重い機体は、それでも力強く飛び上がりほっとする。ボーイング737だから通路一本両サイド3席なので100名強の乗客である。
急いでいるので前のフライトの掃除も十分でなくゴミだらけ、デューティショッピングガイドも無いのでないと言う。後で探して持ってくるともいわないの2度プッシュしパーサーに聞き方を変えるとなんと商品そのものを詰め込んでないのである。最後尾に二つのみのトイレは並ぶ中3台のキャリアーとパーサーの活躍でまずい食事も終わり、ずしんとランディングした。遅延のお詫びの案内もなく、代わりにボーディングブリッジでなくバスでの移動をさせられ挙句の入獄審査1時間半、出発遅れ1時間半で3時間遅れの5時間の苦行であった。写真は行きの時のガラガラ機内は撮り忘れたのでガラガラ・ラウンジ、とシンガポールチャンギ付近の船舶群、搭乗ゲートのドリンクショップもはやる搭乗待ち風景。

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2011年11月24日 (木)

リンデテヴェスの新旧対比

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数ケ月前スラバヤ巡りをした時、タクシーの中から取った写真が如何にも由緒ありそうだったので古写真集を紐といていたらこれがリンデテヴェスの会社事務所であったことが判った。その上に既にこのブログでLindetevesのスラバヤの建物(2008年7月18日)として紹介していた。その時は古写真しかなかったので今日はそれを見比べて見よう。
今はマンディリ銀行が使用しているこの建物は1911年にHulswittが設計したもので、付属の時計台は、今でもスラバヤのランドマークになっている。この一帯はkalimas河、Semut駅までBibis地区と呼ばれる。或いはこの前の道はJalan Pahlawan がjalan Kebun Rojo Surabayaと交差する所で昔のほうがゆったりした広さがある。
ジャカルタコタにもこの名前のモールがあるが、あの一帯は金属加工、機械製造・商事会社のLindetevesが所在した所でその後金物商などがごった返していた所に近代的モールを建設し由緒ある名前を付けたのであろう。

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2011年11月23日 (水)

JenggalaからDasまで

ユネスコの事務所があったJl. Galuh II は地図で見ると d/h Galuh I となっており、行く時道を迷った理由がここにある。小生はd/h の前の通り名で行ったからである。何故か昔のI とII が逆転してII とI になっている事が判った。d/hはドイツ語系と思っていたがdahuluであろう。
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そしてこのGaluh II につきささる道がJl.Jenggalaでその前にTaman Jenggalaがある。狐でも出てきそうな樹木がうっそうとした道である。
ここに昔、兼松の寮があったと広沢投資コンサルタントに聞いた事がある。 
Jenggallaはジャングルの意味と出ており、昔なんとなくキツネの意味かと感じていた。それはSerigalaの語感から来ていたのであろうか。 念の為辞書で確認すると、Serigalaはオオカミの意味で本当のキツネはrubah、序にタヌキはdasである。 Dasなど、どうもインドネシア人にはポピュラーな動物ではないので相当な説明を要するようだ。

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2011年11月22日 (火)

Hang Tuah大学と二人の提督

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Hang Tuahの締めくくりはスラバヤにある同名の大学でやはりHang Tuah 中学と同じ海軍の肝いりの大学で従い海洋水産がメインである。1993年には工学部、医学部、歯学部、法学部も設置している。学舎の屋根が海の色にペイントされているのでブルーオーシャン・キャンパスで親しまれているようだ。設立はNara財団により1987年と新しい。Naraとはマジャパヒト時代の提督の名前である。ここの図書館はスハルト時代の提督スドモ図書館と名付けられている。

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2011年11月21日 (月)

インドネシア税務法令乱発の歴史

インドネシアの源泉徴収税の税率や税目がいつの間にか頭の中で混乱していたが、現在はファイナル税目は別にして一本になったが、混乱の元凶は過去の法令乱発にあった。
従来の税率は1.5%、2%、3%、4%、4.5%、5%、6%、7.5%、10%、15%、20%、と多岐にわたった。
今は上記の1.5%から7.5%の部分が2%で法律そのものに記載有るので省令や通達で変更されない安定したものとなっている。多分この2008年の法律改正の時、世間に笑われたのであろう。
ちなみに規則をたどってみる。

1. 財務大臣規則 NO.244/PMK.03/2008  (2008年12月31日)
2. 租税総局長基礎 PER-70/PJ/2007 (4月9日)
3. 同       PER.178/PJ/2006 (12月26日)
4. 同 PER.170/PJ//2002  (3月28日)
5. 租税総局長決定 KEP-305/PJ/2001  (4月18日)
6. 同       KEP-96/PJ/2001 (2月7日)
7. 同       KEP-176/PJ/2000 (7月1日)
8. 同  KEP-128/PJ/1997 (7月22日)
9. 同 KEP-59/PJ/1996 (8月5日)
10. 同 KEP-76/PJ/1995 (10月2日)
11. 同  KEP-10/PJ/1995 (1月31日)  
これ以外にファイナルの税目の法令変更もいk、うつもあるので毎年変わっていると言える。

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2011年11月20日 (日)

田舎の富豪 はじエモン

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昨日のスンダ料理店のオーナーは誰かと聞いて見たらHaji Emonだとメモしてくれた。名刺にはIbu Hj.Ratna Ningsihとあり奥さんか娘さんであろうか いい名前である。ひょっとして隣の豪邸もそうではないかと尋ねるやはりそうだった。このレストランだけでそんなに儲けるとは思えないが、日本と同じ土地成金に違いない。インドネシアの好景気は田舎の方にまで浸透してきている。
ここはブカシ市なので田舎ではないが昔のこの汚いJalan Industriも見違えるようになってきた。その隣は教会かなと思ったがこれもひょっとして息子さん夫婦のものだとするとすごいが
そこまでは聞かなかった。大食堂はJVCのvideo写真であるがオリンパスと比較してみたい。

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2011年11月19日 (土)

カルティニのヤモリ


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ジャバベカからの帰りに大きなスンダ風レストランがあった。カルティニと言う名前である。棕櫚?葺きのポンドックが両サイドに並び奥にはエベントが出来そうな講堂迄ある。見るだけでは失礼なので焼きそばと肉ス―プを、飲み物にコピヨルを頼んでみた。スンダもジャワもレストランで何を食べようかと考える時焼きそば焼き飯位しか思いつかないが、インドネシアはスープが一番だった事を思い出した。昔スープ十選という紹介随筆を書いた事まであるのに生きていなかった。ポンドックは独立しており少人数つつのもある。オープンエアーであるので蠅はローソクで撃退するが、ヤモリは慣れているのかそろそろと近づいてくる。焼き飯の赤いトウガラシを投げてやると咥えていずこかに立ち去った。辛い味とか判るのは人間の特権なんだろうな思い至った。

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2011年11月18日 (金)

Unescoと七不思議

インドネシアのコモドが新世界七不思議に当選したニュースがあったが、これはスイスの民間?財団がやっており2回目とか、SMSの重複投票も認めているので余り格式はない。しかし韓国のチェジュ島が入ったというのが気にかかる。世界遺産等三つの世界ヘリテージをやっているUNESCOが妙な所にあると言うので行ってみた。
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場所はクバヨラン・バルのJl.Galuh II-5である。昔この近くに住んでいたので土地勘はある方であるが折れる所でIとIIと右と左を2回間違えた。行ってみると写真の通り民家で前に3人もジャガーが居て何かやっていると言う風情はない。 カメラを向けるとインドネシアではお決まりのストップ・妨害行為に出た。説得に背を向けた所で取ったのでいい写真ではない。この道の手前で2昨日のSukunの現場である。

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2011年11月15日 (火)

人口からもSEAゲームトップ

東南アジアのスポーツ祭典 SEA-Gameが始まったようだ。ジャカルタをパレンバンの二つの都市を会場としそれぞれ24と21の合計45種目、542の金メダルを目指して11から11日間繰り広げられる。
GAMEとある通りブリッジやチェスからビリヤード、ボーリングと楽しそうである。際立つのは格闘技でボクシング・レスリングから柔道、空手、少林寺拳法、テコンドウ、プンチャクシラット、後SEA国から二つぐらい種目があるかもしれない。(VovinamやWushuとは何だろう) 
この大会は1959年から2年ごと最初は半島部分の国、タイ・マレーシア・シンガポール、ミャンマー等6ケ国で始まったが現在はチモール・レスタリを入れて11ケ国である。従い今回は26回目でインドネシアは14年ぶりというから一寸驚きであったが、過去の主催は
インドネシア 4回目である。最初の6ケ国時代があるので、マレーシアが5回、タイは5回、
シンガポールがマニラ3回で後は1-2回の国となる。メダル数は主催国が首位となることが8割方あるが、今回のインドネシアは100個が目標とか読んだが大変控え目である。インドネシアは80年代前後黄金時代で8回首位を取って最後の1997年の194個が最高である。

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2011年11月13日 (日)

まだあったインドネシアの果樹 Sukun

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クバヨランの住宅街を歩いて見かけたのが長い棒で果樹を落としている浮浪者である。街路樹として植えてある木から果物を失敬している訳で、なんとなく楽園を想像し写真に収めた。
流浪者に念の為果物の名前を聞いたらSukunと言う名前で、聞いたことはない。もう30年もなるのに初めてお目にかかった果樹だと感銘し、辞書を引くとパンの木とあった。
パンの木とはどこかで聞いた言葉であるが、とにかくこの果物は焼いて食べるのが一番らしく、その味はパンの様だと言うので英語のではそのままBreadtreeと言う。
何かギリシャ神話か何かに出てきた気がするが、取れるのは太平洋諸島がオリジナルの様だ。高さが10-15メートルと高い木で葉はやつでの様に裂けて生い茂っている。その実はドリアンやナンカのようにぶつぶつがある直径10cm程度である。種が無い種類が多くSukunと言う意味も種なしと言う意味であった。

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2011年11月11日 (金)

1111111111にジャカルタ仕事開始

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昨日ジャカルタに入って今パソコンの時刻合わせで2011年11月11日の11時11分にセットしたばかりである。
日本で明治のヨーグルトの賞味期限が何日か探すときにどこに書いてあるのか解らず、別の日に、店の人に聞いたら1111107が日付であることが解った。そこで今日、後100年まではない日付を写真に撮ることができのである。
昨日のガルーダはころあいの込み具合で、これは近江商人の「三方良し」を思い出した。 
ガルーダは鷹揚だから勝手に4席空席の所に移つって、ちょっと心配だったので念の為、もうだれも来ませんかと聞いたら、席を代りたいのですかと聞かれた。適当に空いていたから出来たので、お客良しである。従業員も適当な仕事量で喜び、会社もlumayanである。明治の11111107はカップの所に書いてあり、このカップは特許を撮ってあるそうで、120度程度の捻りできちっと閉まると言うので皆さんへのお土産にした。 御蔭でトランクにいれた飲み物の本数は11本で27kgの重量ステッカーを張られる始末であった。

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2011年11月 9日 (水)

Hang Tuah中学校に思う

先先月、余り行かないクマヨラン・ラマの方に出向いて発見したのがSMP Hang Tuah 2 である。2があるなら1もあろうと探すと1はスラバヤにあった。
この中学は財団Hang Tuahが1973年に設立したもので、海軍と関係があるようだ。校章に碇のマークがあった。Hang Tuahも提督だったのであろうか。
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ここはクマヨランのマーケットを抜けて直ぐで左に曲がる所で奥に海軍の士官学校SESKOALがあり、その正門を左に回った敷地内にある。その時覗いた校庭では土曜日だったのでクラブ活動であるのか救助活動の訓練をやっていた。中学時代からこうした教育を受けられるのは一歩進んでいると思うが
今日の日本のテレビは
*今時の日本の男は髪は朝起きた格好のままで額に照らした髪のスタイルはM字だと教えていた。
*今時の女の子は何を見ておじさんと感じるかのアンケートをやっていたが下らぬ事をやるものだ。
*TPPも反対を煽り立て、市場を取られる事だけで、ある分野では既に開放した市場に出掛けるのを棚に揚げ昔の、攻めの気概はどこに行ったのであろうか
*大王製紙に続きオリンパスまで、日本の信用、日本への尊敬は韓流に敗北する間に、徐々に禿げて行くのであろうか。恥の文化を取り戻そう。 やはりテレビが恥なしの源である。
写真をアップロードしたら 図らずもHang Tuahシリーズが門シリーズになった。 写真はオリンパスだったと思うが又嫌気がさして今度はJVCを救済することにしたが。。

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2011年11月 8日 (火)

ユネスコ3大世界遺産と教訓

ユネスコの世界記憶遺産の他に無形資産遺産がある。これらを3大遺産というが三つの区別が付き難い。小生流なら世界遺産が国立公園(旅行の行く先)、記憶遺産は記録遺産或いは博物館、無形遺産は人間国宝であろうか。
本来は、世界のこのような遺産が失われないようにユネスコが協力すると言うもので日本など先進国は当然自国の遺産として保存態勢は十分でユネスコの協力は要らない。
しかし現実には世界遺産を目的に世界から旅行でやってくる人も多いという実利もあるので、国威発揚の宣伝の効果も考えるべきである。
また他国を気にする事が続くが無形資産の日本登録はの18、中国は仕方がない34点、韓国11点、インドネシア4点である、日本の中身は歌舞伎、能楽、人形浄瑠璃、雅楽、山鉾などであるがヨサコイ祭りなどは未だである。
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インドネシアはワヤン人形、クリス、アンクルング、バティックでなるほどとうなずける。バティックは昨年10月2日を登録を祝って「バティックの日」に制定した事があった。公務員は昔から月曜日だったかバティックを着る事が義務付けられていた。
こうして他国を気にしたブログシリーズは終わるが、せめて、人口・貿易・借金・拠出金に見合うだけの行動で世界に恥をかかないだけの事はしなければと思う。ギリシャは今回の騒動で最低の国になった。先人の遺産と地中海の温暖に恵まれた観光文化は一挙に失われたのではないだろうか。ちなみにギリシャの無形遺産を見ると地中海料理1点のみであった。ソクラテスやピタゴラスは死んでしまえば人間国宝として残らない。地中海料理はEUの3大債務国でギリシャ・イタリヤ・スペインの共同登録であった。
日本もぎりぎりで生きている。GDPもこの国内で働いてこそ維持できるのである。

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2011年11月 7日 (月)

米に続け、ギリシャよ立ち直れ

ユネスコのパレスチナ参加を決める総会での投票結果は米国等反対が14で賛成が107ケ国、棄権が52ケ国であった。
内訳が気になったので調べたら以下の様になった。
1) いつも米国と対立投票する:ロシア・中国、追随の北朝鮮
2) 第2次大戦で米国にお世話になった同盟・枢軸国の内今回離反したのはフランス・ベルギー
(賛成に独・豪・加、日英伊NZは棄権)
3) アジアでテロ話題国は賛成:インドネシア・マレーシア・フイリピン+弱小アセアン
国 (韓国・タイ・シンガポールは棄権)
4) 異端児 ギリシャ
日本も中途半端である。所で今回のギリシャ倒産問題のG20 サミット(インドネシア語ではKTT G20 :onferensi Tingkat Tinggi G20:中庭ノートで学んだ)の記念撮影では野田首相は後ろの方に立っていた。これはこれでいいが報道での印象は円の介入では言い訳を、また国際社会への参加ではお金の用意していたようであるが、も少し円に対しても国家財政に対しても責任を持った政策を以て、ヨーロッパの自堕落な国に発破を掛けるべきだあったと思う。
不参加国も20ケ国もあり、チモール・レステ、南スーダンなどそれどころでない国も沢山あるし世界一小さい国家南太平洋のNiue(人口1,800人)もあった。 (11/4)

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2011年11月 6日 (日)

世界記憶遺産の日本惨敗

支倉常長の世界記憶遺産への登録の話を書いたが英語ではMemory of the World Programmeと言いなんとHang TuahのHikayatも既に登録されていると言う。あの程度の不確かさで登録できるなら幾らでもありそうになる。
そこで何が登録されているかと覗いて見たら 2009年迄で193件、内中国7件、韓国9件、日本1件である。日本は福岡県が独自に申請した山本作兵衛の筑豊の炭鉱画だけで、これすら殆ど知られていない。インドネシアは多分オランダがリードした共同登録のものがある。 日本が何故このような扱いになっているのか
少し憤りも感じ、日本も拠出金の凍結でもしたらと頭をよぎったが、何もUNESCOがわるいのではない。国民の文化度なのか、予算を貰っている機関なのか、メデイアなのかのどれかであろう。今は違うが2009年まで日本人の松浦晃一郎氏が事務局長であったからである。
今回はHang Tuahと伊達正宗が結びついた事がポイントであった。193点は既に増えていると思うが、この数字は国連加盟国とか、それよりもユネスコへのパレスチナ参加の投票国である。米国とイスラエルは拠出金の凍結をしたが、日本は棄権した。

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2011年11月 5日 (土)

インドネシア保税工場・保税倉庫省令の改定

インドマルコ社の月刊誌「インドネシア企業経営」2011年10月号を紹介します。 今月は保税地域に関する税務大臣決定及び保税倉庫に関する税務大臣決定の二つが同時に出されています。その他当月に発行・入手したインドネシアの会計・税務・輸出入手続き等の法令の紹介など下記の目次の通り。詳しくはメールアドレスrisa@indomalco.com又は k2433@ae.auone-net.jp或いはwww.indonesialink.net/indomalco/に照会下さい。
1. 今月の経営情報・事例研究 枚 頁
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート 5 2
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート   6 7
  3 ) インドネシアの 会計原則 148 (無形固定資産 4) 5 13
  4 ) インドネシアの 税額票とされる特定文書 2 18
  5 ) インドネシアの 保税地区規定の改定 その1 6 20
  6 ) インドネシアの 外国人取締役のインドネシア常駐の勧め 2 26
  7 ) インドネシアの 所得税PPh-22の納付・申告手続き 7 28
  8 ) インドネシアの 保税倉庫に関する財務大臣令(要旨)その1 5 35
  9 ) インドネシアの 第2次ユドヨノ内閣の改造 3 40
  10 ) インドネシアの タックス・センサス フォーム邦訳 2 43
  11 ) インドネシアの 関税率・通関価額・罰金等の決定手順 改訂 4 45
  12 ) インドネシアの 公認会計士に関する法律 その2 3 49
  13 ) インドネシアの 税務調査に関する規則 その4 5 52
  14 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス 1 57
  15 ) インドネシアの 化粧品の微量汚染物質と重金属の条件 2 58
   
2. 今月の政治・経済情報  
  1 ) 2011年9月度 下旬 政治・経済トピックス メール配信 3 60
  2 ) 2011年10月度 上・中旬 政治・経済トピックス メール配信 5 63
  3 ) 物価・貿易2011年10月発表 メール配信 1 68
   
3. 暮らしの随筆・その他  
  1 ) 橋本政彦 「明日の街角70~自主、ゆとり-未来への投資」  2 69
  2 ) 広沢勉 「郵便と宅配便および用紙・封筒のサイズ」 2 71
  3 ) 拓海広志 「アルバトロス・オムニバス その1」 3 73
  3 ) 西見恭平 インドネシア 今日は何の日 11月のクロニクル 2 76
   
4.今月の金融・経済関連データ  
  1 ) 今月の月次経済指標 2010-2011トレンド メール配信 2 78
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート メール配信 1 80
  3 ) 今月の為替株式金利の動き メール配信 1 81
      ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。    
表紙写真:中部ジャワ州ソロのパサール・グデ、ジャワ語で「大市場」の意。オランダ人建築家Ir Herman  
Thomas Karstenの設計に基づき、1927年に建設開始、1930年1月12日にオープンした。当時の名称は、
パサール・グデ・ハルジョナゴロ、当時の市場長の孫で、中国系ながらその文化功績の大きさによりソロ
王宮から称号を得たKRTハルジョナゴロの名前に由来する。周辺は中国人街である。

発行:PT. Indomalco Info Center
Plaza Sentral 3rd , Jl.Jend.Sudirman No.47,Jakarta 12930 Indonesia
TEL: (-62-21-)570-9767, 570-9768(直通), Fax:570-9769, 574-1923
Handphone:0816-726585, 0811-996071 E-Mail: risa@indomalco.com 主幹:兼松
ホームペイジ:www.indonesialink.net /indomalco/

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2011年11月 4日 (金)

伊達正宗の二つの世界遺産

支倉常長は門シリーズの宇和島藩の藩主の父、伊達正宗が派遣した遣欧使節である。今宮城県では彼らの事績或いは遺品資料等を、世界遺産の文化・文学版であるユネスコの世界メモーリー遺産に登録を申請中なる事を最近知った。彼はその時ローマ法王とも謁見し法衣を下賜されたと言い、それもメモリーに記録されるが、彼らに協力した現在のスペインも共同提案等登録申請に協力を申し出ていると言う。
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支倉常長は1613年に日本を出港し90日の航海でスペインの支配地アカプルコに到着、イスパニア王に謁見、洗礼の上更にローマで法王に謁見したのが1615年である。伊達正宗の通商協定の妥結は再三申請したが、果たせず帰任したのは1620年、キリスト禁教の不運の中、2年後に没している。
明治迄の鎖国で彼のお墓も身内に極秘に守られ、事績も秘とされていたので彼を発見したのは、何と岩倉米欧使節団がそれもスペインでの事であったと言う。今は仙台にもアカプルコにもスペインにも常長の銅像が立ち太平洋をにらんでいる。
アカプルコ迄は太平洋、ローマ迄は大西洋、帰りはその逆を行ったので世界一周とはならなかったが、丁度マゼランより100年後である。 自主的に、自由貿易を求め、且つ逆回り往復の2大洋征服は彼が世界最初ではなかろうか。
支倉常長は十分に世界の人が日本人を見直す英傑の一人である。正宗は二つの世界遺産を作ることになる。

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2011年11月 3日 (木)

Genung Ophirもイ・マで取り合い

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友人がジャカルタに来て泊っているのがクバヨラン・バルのアークスハウスと言うサービス・アパートメントである。そうでもなければ一生行くことも無い一角にそれはあり、その住所名もJl. Ophirである。今では清水建設だったかが建設した事で日本人にも有名になったがそのパクブオノ・アパートのある同名の一方通行の通りから左に入った袋小路の道で、その手前で左から入ってくる道がある為、つい行き過ぎるポイントにある。  
そう、出来ればワナバクティから下って来てプルマタ・ヒジョーを超えてSimpruk Terras、Indah、Galleryと言う三つのアパートを過ぎた所で左折して先ほどのパクブオノアパートを右に見ながらパクブオノに出てくる方が間違いない。
このOphirと言う名前であるが、色々聞きまわったがだれも知らない。オパールのインドネシア綴りと一度は決めていたが、執念で調べたら、どうもそうではなくクリスチャンなら有名な、旧約聖書に出てくる地名の様であると結論付けた。 
要約するとソロモン王の時代、王に献上された質の高い金塊が取れた所がOphirと言う地名で それがどこかという「失われた謎」の追求の話で数世紀に亘り話題となっていたが今では追及を諦められている。、世界各地から名乗り上げがあり、現在はそれぞれが併存している。 近くではマレーシアのGenung Ophirがあるが、インドネシアにもGenung Ophirがある。インドネシアのそれはスマトラ、パダンの北に位置するが、これもイ・マで取りあいの一つであろうか。 ただ金が出る話はない。
序でに Reservation : (Tel) +62-21-7203230 / (Fax) +62-21-72793411
HP : +62-08562328447 (Mr. Reby) / E-mail : reby@arcshouse.com

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2011年11月 2日 (水)

Hang Lekiu とHang Lekir

Hang Tuahと言うマレーシアの伝説物語はHikayat Hang Tuahと言われるがこの中で彼を取り巻く武人には後4人いる。 前回登場した Hang Jabatは特にHang Tuahと対比され、Hang Tuahは忠誠の人でHang Jabatは真実と正義の人で描かれる。 二人の名前を付けた通りはクバヨランの入口の所で並走する形である。 (間に1本道があるが横につなぐ道もあるので梯状か)
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Hang Jabatは最後、Hang Tuahとの決闘で殺されるが実際はJabatでなくHang Kasturiだともいわれる。このほかにHang Lekiu とHang Lekirの二人がいる。Kasturiの名前の道路はないが Hang Lekiu とHang Lekirの名前はある。

Jl. Hang LekiuはHang Jabat通りが北上しPakubuwono通りとぶつかる間の左の区画である。この辺りはキリスト教会や高等学校があり、車も入ってこない静かな一角である。 Jl. Hang LekirはPakubuwono通りからスナヤン・シティに向かう道で良く使う道である。途中に昔からHostelと言うのかTulip Hotelがある。
Hikayat Hang Tuahの内容はマレーシアの歴史学者や文学者で相当ディベートされているが他の伝承と矛盾も相当ある。Hangと言う名前も中国系の名前である。出てくるスルタンはマラッカのスルタンでマラッカは当時明(?)の属国で、シャムの侵略から守る為或いは、スルタンの妻となったHang Li Po(?)を守る為に中国から派遣された5人の武士団(兄弟に近いか?)である。(Hang NadimはHang Tuahの子供)
インドネシアから見るとこのマラッカはスリウィジャヤ出身のインドネシア貴族Parameswaraの子孫が作った国で、Hang Tuah等はParameswaraを守る武士団である。
写真に、いつか利用できるとかもしれないので、Hang Lekiuから教会とHang Lekirからホテルを代表してアップしておこう。 

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2011年11月 1日 (火)

今もあるかエレタン

東外大名誉教授の佐々木教授のブログ「インドネシア語の中庭ノート」http://sanggar.exblog.jp/にperahu eretanと言う言葉の紹介があった。川にロープを掛けて小舟の船頭がこれを引っ張り川を渡る渡し舟で数名程度の収容能力である。 教授は1970年代初め, Setiabudi から Menteng に乗って渡ったと書いておられた。小生の最初に見たのはチデンの下流であるが、その後2回小生のアルバムを見るとあるので、それをアップしよう。
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一つはアンケ運河の最下流と、スンターの湖の近くである。
先生のブログにはコメント欄が無いためここで紹介した。 
Eretanと言えばまた古い話になるが1942年3月1日、日本軍がジャワ攻略で上陸した三つのポイント(バンテン-エレタン-クラガン)の一つである。エレタンはインドラマユの近くであるが今もあるのだろうか。行ってみると現地の人は知らない土地だったと言う話は多いからである。彼に聞いてもわからないだろう。

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