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2011年11月 4日 (金)

伊達正宗の二つの世界遺産

支倉常長は門シリーズの宇和島藩の藩主の父、伊達正宗が派遣した遣欧使節である。今宮城県では彼らの事績或いは遺品資料等を、世界遺産の文化・文学版であるユネスコの世界メモーリー遺産に登録を申請中なる事を最近知った。彼はその時ローマ法王とも謁見し法衣を下賜されたと言い、それもメモリーに記録されるが、彼らに協力した現在のスペインも共同提案等登録申請に協力を申し出ていると言う。
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支倉常長は1613年に日本を出港し90日の航海でスペインの支配地アカプルコに到着、イスパニア王に謁見、洗礼の上更にローマで法王に謁見したのが1615年である。伊達正宗の通商協定の妥結は再三申請したが、果たせず帰任したのは1620年、キリスト禁教の不運の中、2年後に没している。
明治迄の鎖国で彼のお墓も身内に極秘に守られ、事績も秘とされていたので彼を発見したのは、何と岩倉米欧使節団がそれもスペインでの事であったと言う。今は仙台にもアカプルコにもスペインにも常長の銅像が立ち太平洋をにらんでいる。
アカプルコ迄は太平洋、ローマ迄は大西洋、帰りはその逆を行ったので世界一周とはならなかったが、丁度マゼランより100年後である。 自主的に、自由貿易を求め、且つ逆回り往復の2大洋征服は彼が世界最初ではなかろうか。
支倉常長は十分に世界の人が日本人を見直す英傑の一人である。正宗は二つの世界遺産を作ることになる。

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