« 昨日は歩兵の日 アンバラワの戦い | トップページ | SESKOADでスハルト躍進 »

2011年12月14日 (水)

AKABRIよりアカデミTNIへ

この1年「今日は何の日」のカレンダーを作ったが、原典の不正確さと手元のVistaパソコンで別途作った年表で年月等の縦の列のみの挿入機能などが働き、正確を期すのには大変苦労した。最終月の12月を開くとAKABRIが1965年12月10日と16日及び1967年12月に出ており、また間違ったかと唇をかんだが、AKABRIの歴史を読むとそうでもなくホットした。
AKABRIは最初の1945年10月31日、YogjakartaにTKR参謀のU.Sumoharjoが設立したMilitaire Academiに遡るがその後種々各地のSekolah Perwiraや4軍それぞれのAkademiの歴史があるが それを統合したのがGatot Subrotoで1965年12月10日の制定法律でAKABRI(Angkatan Bersenjata Republik Indonesia)と言う名前で.発表され、16日設立されたようだ。YogjaからMagelangに移ったのはその前1957年のAMNの時代である。
1967年はAKABRI UDARAT(UmunとDaratの2部門)として再発足したのがその年の12月である。1984年更にABRIの組織としてし別途陸軍のAKABRI Darat変更はAkmi(Akademi Militer)となった。
Pintu_gerbang_akmil


現在、このAKABRIは1998年リフォルマシにより1999年4月1日の警察軍の独立という組織変更により消滅し現在はAkademi  TNIと言う。 SMAを卒業した人が入学の資格があるPerwira(将校)養成の学校であり、どうもこの上がSESKOAD/ALのようだ。一昨日Seskoを陸士と準じるとしたが 陸大に当たると思われ至急訂正しておこう。
前国軍司令官Djoko Santoso陸軍大将の略歴を見ると1975年AKABRI卒、1990年SESKODA卒とあった。

サトリアで読むと:「インドネシア共和国軍事アカデミーが設立される前に、それぞれの軍と警察軍は、すでに士官学校を持っていた。陸軍は、国立士官学校(AMN)を、海軍は、海軍士官学校(AAL)を、空軍は、空軍士官学校(AAU)を、インドネシア共和国警察は、警察大学を持っていた。
インドネシア共和国軍の中に軍事アカデミーを設立しようとする考えは、陸軍副官ガトット・スブロト陸軍中将によって表明された。この考えは、その後国軍スタッフによって推進された。1965年に0.B.シャアフ少将が長をつとめる、軍事アカデミー設立委員会が設立された。この委員会は、審議の結果として1965年12月10日にインドネシア共和国軍事アカデミーの設立に関する大統領決定書を発表した。この決定書は、A.ガニ準将の率いる軍事アカデミー指導センターによって実現された。1968年1月29日(筆者注:決定は1967年12月と推定)にマグランで、防衛安全長官、M.M.カルタクスマが、軍事アカデミー(普通科Umum)を公式に開校した。
軍事アカデミー開校の実現は、教育の分野でのインドネシア共和国軍の統合を示している。」
この写真も借用 どこにあるかは未だ未調査 http://junaidieightpm.blogspot.com/より。

|

« 昨日は歩兵の日 アンバラワの戦い | トップページ | SESKOADでスハルト躍進 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: AKABRIよりアカデミTNIへ:

« 昨日は歩兵の日 アンバラワの戦い | トップページ | SESKOADでスハルト躍進 »