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2011年12月 7日 (水)

スドモ提督は御自宅か

HT大学の図書館の名前になったスドモ提督は、大学や図書館と何か関係あるかと思ったが大学の設立時代1987年頃は労働大臣をやっており、海軍提督以外は特に関係なさそうだ。正式な名前はLaksamana TNI (Purnawirawan) Sudomoと呼ばれているからである。
彼はスハルトより5年若い1926年マラン生まれである。最後のDPA議長は最後から2番目、Kopkantibも最後から2番目である。小生の仕事面では直接関係はないが関係するとすると労働大臣時代、或いはラーマングン・ゴルフクラブの総裁時代(支店長のメンバーシップ取得)である。 このクラブ・プレジデントは70年から1997年と長期に支配しており、そのあとはボブ・ハッサンであるから、二人してスハルトとに同伴パートナーを務めたことであろう。スハルトとの仲は1962年頃マンダラ作戦ごろスハルトの副官となってからである。スハルトは1945年頃からPETAで顔を出し、1949年3月ジョグジャ占拠戦、1950年アジスの反乱、1957年対プルメスタ動員とくるがこの過程では余り接触はなかった。
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略歴を示すと下記の通りであるが、現在は故アリ・サディキン邸のはす向かいの私邸に住んでおられる筈である。
1969-1973:国軍海軍参謀長
1973-1978:Kopkamtib 秩序治安回復作戦副司令官(スハルト司令官の下で)
1978-1983:同上司令官
1983-1988 :労働大臣
1988-1993:政治・法務・治安担当調整大臣

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