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2011年12月15日 (木)

SESKOADでスハルト躍進

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SESKOALに対して、SESKOADと言えばスハルトの話で出てくる。1959年10月13日彼が未だ38歳、大佐でデポネゴロ師団長からバンドンのSESKOADの学生に左遷された時である。師団に来たのが1956年であるがこの幕僚長から師団長になる時代、彼は彼の部隊の為にハディスペノ・スマラン市長やスジョノ・フマルダニ少佐、ボブハッサン達と金集めに精を出した。師団長からナスチオンの副官になるガトット・スブロトはスハルトのこの汚職を切る為に温情的左遷をしたとされ、後のちスハルトは心ひそかに感謝した形跡がある。何故温情的になったかと言うとボブハッサンはガトット・スブロトの養子であったのである。SESKOADで彼はナスチオンの地域管理理論(市民の任務)に傾注した10ケ月を過ごし60年に准将、62年に小将と逆に出生していく。1961年ナスチオンの夢の実現となるKOSTRADの司令官として中央復帰したのである。写真はバンドンに行った時撮り損ねたので、Sinung Baskoroの写真集から頂いた。この陸軍参謀・司令官学校は陸軍幹部大学とでも訳するほうがいいのか、ただ陸大ともちょっと違うようだ

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