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2012年2月11日 (土)

独立宣言後蘭イ間仲介のイギリス

1946年2月10日はインドネシアとオランダの交渉(Perundingan2)の開始の日とされている。それまでもスカルノ、シャフリールやハッタとファンモーク副総督との間で会議はもたれたが共に共和国全領域の完全独立を主張した為流れていた。スラバヤの戦いやバンドン、スマトラの軍事的緊張は高まり、抑留オランダ人10万人の危機もあり、連合国主導のイギリスはオランダと会談し環境を整え交渉を再開する事でイギリスからクラーク・カー特使を派遣しシャフリール・モーク会談を斡旋した。この場でもオランダは連邦国家を提案するだけで、シャフリールも黙るしかなかった。カー特使は イラクー中国―ソ連―米国の大使を歴任しており、インドネシアに特使としてきたのはソ連大使の後で、このあとアメリカへの大使となっている。
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余談であるがこの交渉は前田精海軍武官府で行われたであろうことは写真で見て突き詰めた事がある。 外ではタン・マラカの人民戦線の即時完全独立の声が益々強くなっていった。 彼らはシャフリルの交渉そのものに反対した。写真は独立宣言文言の検討会議、45年10月ごろのクリスチソン中将仲介の会議、及び46年10月ごろの、リンガルジャティ協定を討議するキラーン卿仲介の会議、いずれも前田海軍武官府の建物で、肝心のカー特使の会談の写真はみつからなかった。この建物は前田中将が去った後イギリスの大使館となっていたのである。
このテーブルはジャティ製であろうか、アンチークとしても億ドルは下るまい。

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