« 日本にも生きていたトゥラン・ブーラン | トップページ | 今日は プラムディヤ・アナンタ・トゥール »

2012年4月22日 (日)

RRIと先代Niromの時代

00merdeka_barat_rri


ムルデカバラットにもいくつかの史蹟がある。国立博物館とかKESERA国民福祉調整大臣府が代表であるが KESRAと憲法裁判所の間にあるRRIも歴史がある。但し元のNIROMのレンガ一つ残ってないのは残念だ。NIROMと言うのはオランダ時代の政府放送局であり、現在のRRIは日本のNHKに相当するがTV放送はTVRIに任せラジオ放送に従事している。広大なインドネシアをカバーするにはラジオステーション数で205に及ぶ機関を持って従事する必要があるのである。
00nirom


NiromはNederlands-Indische Radio Omroep Maatschappiの省略であるが、実はインドネシアの最初のラジオは16 Juni 1925に設立されたバタビア放送協会BRVでホテルデスインデスにより放送された。その後ジョクジャのMavro、ソロのSRV、BanndungのVoroとか多くの民間ラジオ局がジャワの各市で設立されたがその一つがNiromである。Niromは1928年に設立されジャワ全土をカバーする計画であったが技術が追いつかなかった。1934年になって初めて3月31日から広い地域に放送を流すことが出来た。そして一番大きな放送局として政府の支援も受け電話事業も行った。1937年ラジオ連盟PPPKが会長Sutarjo Kaartohadikusumoの下に設立された。
Niromは当時のミュージックグループLief Javaの流行に一役買ったこともあるが、彼らの許しも無くIslnder The Sweet Javaの曲を毎日流したためIswmail Marzuki と彼の友人たちはNiromを離れた。1942年に日本が占領した時はラジオ放送局と改名されたがNiromの最後の声は"Tot betere tijdenより良い時が来るまで“と言うものであった。閉鎖後もオランダの歌を放送したNiromの3人のオランダ人いたがこれらは日本軍により死刑に処せられたと言う。

|

« 日本にも生きていたトゥラン・ブーラン | トップページ | 今日は プラムディヤ・アナンタ・トゥール »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: RRIと先代Niromの時代:

« 日本にも生きていたトゥラン・ブーラン | トップページ | 今日は プラムディヤ・アナンタ・トゥール »