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2012年5月10日 (木)

ブカシの英雄Noer とChairil

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Bekasi市からKali Malang運河添いの道はKH. Noer Aliと言う通り名である。ハジNoer Ali は2006年に国家英雄に叙された。この道はブカシの写真のMal Metropolitanの所からCawang迄走ってくるがBekasiに至る東Karawangからの道はChairil Anwarと名付けられている。
そう、昨年9月のブログ“ハイリル・アンワルのKarawang-Bekasi叫びの勝利”で紹介し有名な“Karawang-Bekasi”と言う詩である。彼自身Angkatan 45の属した闘士であと一つブログ「Chairil Anwarの胸像」で紹介しているがこの詩の題材となったRawa Gedeの虐殺事件に発展した現地での闘争を指導した人がKH.Noer Aliなのである。上記ブログの後、この虐殺された村民431名へのオランダからの賠償が成立した報道は聞いたので上記のブログに追記・修正しておかねばならない。
彼は所謂Raskar Rakyatのリーダーで1945年の9月19日のジャカルタ・イカダ集会を企画した一人である。
連合軍に対する戦いは1945年11月29日にこの近くのPondok Purpleで起こり彼はチームを引っ張り急襲を掛け一時は連合軍を撤退に追い込んだ。そこで停止を命じたがSasak Kapok  橋の辺りで戻ってきた連合軍の為30人が死亡した。
2回目の戦い(事件)はRawa Gedeで起こったがその前にNoerは抵抗軍の堅守を見せる為村民に紙で紅白の旗を作らせ家々や木々にぶら下げた。オランダ軍はこの行為はTNIによりなされたとしてMayor Luke Kustaryoを捜査したが村民の非協力に怒ったオランダは村民虐殺に走った訳である。
Noerはブカシで1914年に生まれ1992年に亡くなっている。1934年メッカに赴きイスラムを修めている。独立後はマシュミ党やウラマのMUIの地域活動に奉仕した。

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