トリサクティ事件とデモ
出掛けるのにいつまで待ってもタクシーがなくバスにするとバスも来ない。真相はこの先のトリサクティ大学で1998年5月12日の悲劇と称している事件の14周年のデモ行事である。チケット売り場にはBahan Bakar Gasの充填で時間がかかっていると表示していたがどうしてだろう。
トリサクティ事件はP坊やのクーデターだという説などあるが、とにかく集会中の学生を狙撃して4人が死亡した事件でこれを契機としてあのジャカルタ暴動がおこりスハルトが退陣に追い込まれたのである。事件は下級兵士に責任を取らす形でうやむやにされている。
今日のデモはその後徴用した市内バスの屋根にまで乗り込んで10台ほどで移動していった。デモの行く先はいつでもホテル・インドネシア前である。モナス広場などでやってくれるといいのだが、やはりここが一番目に着くからだろうがこれにより半日は交通がマヒした。 一時楽勝かと思われたバスウエーもHI 手前は数珠つなぎであった。
彼らはこの事件で革命の勝利と称された4人の人権は家族を含め回復されてないとしてインドネシアの人権蹂躙体質は変わってないと訴えていたが市民も優しく受け入れ平和なデモではあった。
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