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2012年6月27日 (水)

DermagaからSunda Kelapaへ

Alwi Shahabさんの「Dermagaからスンダクラパへ」と言う変な題の記事に出会った。Dermagaとは港・ドッグとか言う意味であるが何故今山岳地のボゴールに港?と言う訳である。
ボゴールの農科大学(IPB)のキャンパスはDermagaと言われるそうだが地元の人もその謂れは知らない。多分その近くに流れるCihideung河のUdik橋の下がパクアン・パジャジャラン時代に港として機能したのであろう。
と言っても本当の港ではなく、当時は船も通わせる位の河で今のCideng(Cihideungが語源)を通ってスンダクラパに行けたのであろう。
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記事にJohannes Rachの絵の事が書いてあったので探して見たら手元にあった。題は判読して ”Her Gesigt van Indramago Paale Boonen Buyten Zorg…” とか、1772年に時の総督Van der Parraが視察に来た時の絵である。奥の建物の向こうに4本マストにオランダ国旗を掲げた船がかすかに想像できる。

この絵がDermagaの謂れの故である。2列縦隊の槍の兵士の間に傘を差し出された総督夫妻が見える。荷物を運ぶsado馬車や倉庫もいくつもある。
この地方で中国人が胡椒やカルダモン・スパイスを生産していたと言う。地名に秘める悠久の歴史である。

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