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2012年6月 3日 (日)

PancasilaとBung KarnoどちらもSrengseng

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日本に帰る日Depokの方まで出掛けてきた。一昨日がパンチャシラ記念日であったのでパンチャシラに纏わる話題が良かったのであるがブンカルノ大学と国防省の話で本題に行かない所、偶然パンチャシラ大学に行きあたった。パンチャシラ大学はデポネゴロ通りから入り込んだボロブドール通りに有るのは知っていたのであるがそういえばその数倍の大きなキャンパスがここSrengsengにもあったのである。Srengsengと言えば又Kebon Jeruk辺りにもあり、何とはなく特異な名前でそこそこ有名な地名が二つある為混乱したがブンカルノ大学がここに関係していると言うので更に混乱する。写真は上がSrengseng,下がBorobudurのUP
この大学は1966年10月の先代のパンチャシラ大学とブンカルノ大学が合併して出来たものと記されている。勘ぐって見るとブンカルノのG30S関与でそれまでスカルノの創作であったパンチャシラを国家のものとしブンカルノ大学をつぶしたのかもしれない。従い今のブンカルノ大学はラーマワティが再建したことになる。元々のブンカルノ大学はSrengsengにあったようであるので
未だ完全に名誉回復はされてないと断じれる。一方のUPは私立大学から国立大学(PTN)に昇格したようだ。
パンチャシラ大学は7学部(法・経・工・薬・心理・通信・観光)があり本体はこのSrengsengにありBorobudurの方はAulaとして使われているのではないだろうか

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