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2012年6月23日 (土)

カハール・ムザキルは国家英雄か

6月22日はパンチャシラを歌い上げたジャカルタ憲章が生まれた日でその時の独立準備調査会BPUPKIの憲法小委員会のメンバー9人が憲章に署名した日である。
このメンバーの中にAbdul Kahar Mudzakkirと言う人がいる。ダルル・イスラムで騒がしたAbdul Kahar Muzzakarとは名前が似て同一人と思ったが別人である。彼の経歴・事績からも国家英雄たりえるが、調べても名前が無い。Muzzakarと間違われたのであろうか。
彼は1907年ジョグジャ生まれ、叔父H. Masyhudiはムハマディア創設の一人であり、祖父 Kyai Hasan BashariはイスラムのGuruであり又ディポネゴロ戦争時の司令官の一人であると言う家系である。1924年にはハジに上り、25年エジプトに移りAl-Azhar大学等に留学、パレスチナでの活動を含み12年間滞在した。その間の彼の真摯な活動でインドネシアに対する同情心が高まり、後1946年11月18日エジプトはインドネシア独立を最初に承認する事になる。
1933年にはオランダでのインドネシア協会のネットワークを形成するPerhimpunan Indonesia Raya設立に参加、Indonesia Raya 紙を発行した。
1938年帰国、ムハマディアの活動に入り1953年には役員(Pengurus)に就任、亡くなるまでその席にあった。日本占領政府には協力させられ又準備委員会委員に選任された。独立後は宗教副大臣に甘んじることもあったがむしろ1945年7月8日に設立したイスラム高等学校(STI)に注力しSTIは1947年イスラム大学UIIとなった。1960年までUIIの学長を務めその後は学部長に退いてJogjaで惜しまれて亡くなった。
pendiri bangsa (founding fathers) と言われる一人であるが、イスラム教育に献身し、あまり知られていない。

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