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2012年7月 3日 (火)

聖フインセンティウス抑留病院はここか

終戦後、いち早く戦争裁判が行われ、収容所関連や憲兵隊が100件強起訴された。その中でこのチデン抑留所の所長であった曽根軍曹(終戦時大尉)は死刑第一号になっている。彼も戦争の被害者であろうが、一方の聖フィンセンティウス病院長は軍医の光藤大尉であったが抑留者からの嘆願書があり起訴を免れている。  
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この聖フィンセンティウス病院はどこだったか、ジャティネガラであれば St. Joseph教会(Marsudirini学校)かSant Maria Fatimah学校が思い出されたが、サーチングの間に綴りがVincentiusなることが解り、自分の二つのブログが出てきた。一つは「VincentiusはPanti Asuhan孤児院」のタイトルで書いたJatinegara の北のKramat Rayaにあるヴィンセンティウス孤児院(男子)であり、後一つは「Antonius教会はカトリック」に出てくる
Jatinegaraの南 Bidara Cinaにあるヴィンセンティウス孤児院(女子)である。どちらもジャティネガラとも言えるかもしれないが、あの本の中には教会があった旨記載があるので、Antonius教会の方であろう。この敷地の中に女子用フィンセンティウス孤児院があり、ここがあの病院に使われたのであろう。男子用の施設は日本軍のある司令部が使ったと言う様な文献も見つけた。

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コメント

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投稿: Bridgette20Miranda | 2012年7月 4日 (水) 13時14分

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