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2012年7月30日 (月)

期待されたスロノ大将

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何でこの家に興味があったのか、昔ここを通った時に丁度前に警備の警察の車が駐車していたからかもしれない。付近を掃除していた掃除夫に住人の名前を聞いたがメモを忘れ、その後も行った事があったが。多くの似た名前がありそのコレクション等をやっていたので又混乱していた。この7月又覗いて見ることにした。移動Kaki Limaの親父に運ちゃんに聞かせたがどうも誘導質問だったようで自信が無かったが、ある記事でここはSurono大将の自宅であることを確認した。Surono Reksodimedjo 大将は1923年生まれ(スハルトの2年後輩)1974年までは陸軍参謀長、1978年までは国軍副司令官であった。1978年まではスハルトに何かあれば次期大統領はスロノ将軍だと学生などにも人気のある将軍であった。独立戦ではGatot Subroto将軍の下でアンバラワの戦いで部隊を率い、1965年ごろはAMNの校長、1966年デポネゴロ師団長を歴任している。
最初の写真は2008年故将軍は在宅であったが2010年8月にお亡くなりになっていた。カリバタ英雄墓地に埋葬されたがその時のニュースで亡くなったのはRSPADでそのあと、遺体はTeuk Umar No.5の自宅を出発したとあり、この場所とSurono将軍の紐付けが確認された訳である。1978年彼の人気が高まることに警戒したスハルトは彼をMenko Kesraに入閣させそのあとはMenko Polkamであった。Wikipediaには国軍副司令官の時代が抜けていた。
スロノには後一人同名の英雄がおり、似た名前を上げると
スロノ、ストモ ストヨ スモポ ストポ スポモ スルヨ スロソである。

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