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2012年10月19日 (金)

大昔のパッサール・イカンに日本人

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どこかで見かけた風景だと思っていたこの絵はバタビアのパサール・イカンであることが解った。拡大してもMarktしか読めなかったものだが、パッサールイカンはオランダ語ではVismarktである。この絵は1682年とあるがJacob van Meursの出版の年月であるようだ。
パッサール・イカンが描かれている絵には下の絵もある。此方はアムスのTROPENMUSEUMにあるもので1656年頃作者Andries Beeckmanと解っている。左手が同じ様式の建物のパッサール・イカンで海への奥の方にバタビア城が見える。バタビア城は吊り橋の北、造船所があった向かい側にあったはずで少し遠望過ぎる。丁度マーツオイケル総督の時代で総督一行が城を出てCity Hallに向かう姿もある。一番興味を引くのは手前に青色の着物に刀見たいなものを持つ日本人の姿があることである。丁度お春の時代なので白石女史の著作にも出てくるお春の知り合いの男かもしれない。この絵と同じ絵がRijksmuseumにもあり昔VOCの理事会が開かれた同じアムスにあるOost-Indisch Huisの暖炉の上に飾ってあったそうだ。理事たちはバタヴィアに行ったことも無いのでこの様な絵を書かせ領地を偲んだのである。手前にサーバントに傘を差さしたオランダ人みたいなのが女性といるが当時欧州女性は居なかったのでこれはmestizaと呼ばれるポルトガルやスペイン人と現地人の混血女性のようだ。
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これらの絵の左手の長い建物は現代もあるが土台の石程度は同じものかも知れない。
と、此処まで書いたがTroppenmuseumの方の絵はPassar Ikanの手前の造船所だったかもしれないと気がついたがこちらも現代に残っているので土台の石はどちらにも共通して言える。
そういえばこの写真の手前はカリブサールでその裏がマラカ通りがあり、そこにお春が住んでいたのでここに日本人男性が散歩に出てくるのに不思議はない。

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