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2012年10月17日 (水)

RRIの生まれ

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RRIについては「RRIと先代Niromの時代」としてブログしたが、若干補足しRRIの生まれ小史を綴ってみる。
インドネシアでの最初のラジオ放送は1925年のバタビア放送協会の放送であるが、この年はくしくも日本のNHKの発足の年でもある。世界での最初はアメリカで1920年と言われている。
このバタビアの他スラバヤ、スマラン、メダン、マディウン等にも民間ラジオ局が設立されたがNiromという放送局が1928年にアムステルダムで設立され全東インドへの放送網を握る筈であったが技術的問題から遅れて1934年になって初めて可能となった。それでもオランダ語であったが1935年からローカルの言語も使用するようになった。
インドネシア人による放送局の初めは1933年のソロのSVRである。日本占領時代はこれらの放送局を接収し日本占領軍による放送となったが言語はインドネシア語であった。
1945年の独立宣言はグナワン(YB0BD)という名前のアマチュア無線で世界中に放送された。グナワン製無線送信機は、インドネシアの国立博物館に保存されている。
独立宣言後8月19日から日本占領時のHousoukyokuからの放送が無くなり国民はツンボに置かれた。国民は独立という新しい幕あきにどう行動を取るべきか迷っていたが海外のニュースからはオランダが占領に戻ってくると言う国難に際しまずジャワのHOUSOUKYOKU 8局の長がジャカルタに集まる事となった。その時8局の上に立つHousoukanrikyokuのOetoyo Ramelanが大統領の同意を取る事を提案し夕方やっとPejambon で会合を持つことが出来た。会合では結局6局の長が集まりDr.Abdulrachman Salehが団を率いた。さらにこの会合は深夜24.00にもAdang Kadarusman のMenteng Dalamの自宅でも引き続き持たれた。その後彼らの力で既に連合軍の資産となっていた放送設備を使用することに成功しRRIがうまれたのである。この会合の日9月11日がRRIの記念日となっている。

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